生きてこそ
ルカによる福音書20章27~44節 牧師 綿引久美子
エルサレムに入られ十字架の道がいよいよ迫る中で、神様の専門家を名乗る人たちと、問答が続けられます。イエス様を亡き者にするために論破を仕掛けるのです。
1.繰り返される問答(27節)
エルサレムに入ってから、イエス様は律法学者たち、またファリサイ派やサドカイ派の人たちから問答を投げかけられ続けています。今回は、復活はないと考えているサドカイ派の人々が『復活について』の問答を仕掛けてきます。イエス様に『復活はない』と認めさせたい彼らは、兄弟間の結婚問題をモーセが神様から与えられて『律法』を用いてイエス様に質問します。復活は、神の国の話です。この世の話ではありません。ベースは神の国にあります。地上を離れ、天国(神の国)で生きることの話です。『律法』は神様を信じる人がこの地で生きる時の生き方指標です。そもそもの立ち位置が違います。神の国に対する思い違いをイエス様に指摘されます。
2.復活するのにふさわしい人(38節)
イエス様はサドカイ派の人たちに、天国へ行くのは、『復活するのにふさわしいとされた人』だと言われました。『ふさわしい人』神様に選ばれた人です。反対に『ふさわしくない人』もいることを彼らに教えています。『復活した後は嫁ぐこともめとる事もない』男と女に分けることもなく、永遠に生きる者となることを教えています。『復活するということは、もはや死のないということです。ですから、『神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ』。『復活するのにふさわしいとされた者は、神と共に生きる『神様のご支配の中で生かされる者』ということです。
3.あなたの『主』は誰ですか?(44節)
今度はイエス様の方から彼らに尋ねられました。神様の専門家であるなら、誰でもがわかる『ダビデ』のことです。イエス様は、ダビデの詩と言われる詩篇110編1節を引用して言われました。『ダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか』。この詩篇の頭に『主は』とダビデが呼び掛けていることをイエス様は投げかけました。これを聴いていた群衆は、イエス様のことばに驚き、イエス様に問答を投げかけた神の専門家たちは、ことばを発することすらできず、ただ黙っていました。これは、イエス様を陥れることが目的でなされた問答ですが、私たちにも投げかけられているとても大切なイエス様からの問いかけです。
*イエス様から復活にふさわしいものとされていることを知っていますか?あなたの主は誰ですか?ここに「ふさわしい者として選ばれる」重要なポイントがあります。



