十字架のために生まれた子

ルカによる福音書2章1~7節,フィリピの信徒への手紙2章6~11節  牧師 綿引久美子

『救い主が人となられてこの地に来られたこと』それがイエス様の誕生です。

1.居場所のない赤ちゃん(ルカ2:6~7節)
神の子であるイエス様が、人となられてこの地上に来られたことは、旧約でいわれていたメシア(救い主)がいよいよ私たちの生活するこの地の営み(歴史)の中に介入してくださった瞬間の出来事です。それがイエス様の誕生です。しかし、私たちは、あまりにも失礼で、まるで拒絶しているような形で、救い主をお迎えしてしまったのです。人となられたイエス様は、旧約から言われていたにもかかわらず、誕生を待ち望み、準備された暖かな部屋もなく、そして毛布もなく、そこにあったのは飼い葉おけと、母マリアの用意した布だけでした。

2.神が人となられた姿(フィリピ2:6~8節)
居場所のないそのただ中に来られたイエス様の姿は、究極の愛の姿でした。そしてその愛が向けられている先にいるのは、私たちです。この愛はすべての人に向けられています。イエス様を信じていても信じていなくても関係なく、差し伸べられているのです。その姿は、謙遜で、神の子の身分にこだわらず、私たちの所まで身を低くされて友のようにおられるのです。そして、手を差し伸べるなら必ず握り返してくれるくらい、私たちのそばにいて心にかけてくださるのです。私たちは、この神様の愛に気づいているのでしょうか?傍観者のようにイエス様と関わっているのでしょうか?
ここに記されたイエス様の姿は、『キリストの賛歌』と言われています。これはあなたに向けられているイエス様の姿であることをこのクリスマスは覚えたいと思います。

3.心の中に迎えた十字架(フィリピ2:9~11節)
イエス様は、十字架にお架かりになるまで救いの計画に従順でした。そして、その十字架の出来事を通して私たちは、神様と和解して、罪を赦された者として今を生きています。私たちに善悪を教えてくださるのはイエス様であり、私たちの心が汚れから守られるように、私たちの中に住んでくださっているのがイエス様の霊です。その私たちは、心の中に意識をもって日々過ごしているでしょうか?私たちの心の中にある十字架は、「縦に神様と私」そして「横にこの地の人との関わりと私」を見ることができます。神様と私はイエス様のお名前によって和解しています。この地上で、和解することは、『赦すこと』です。横のつながりは和解があるでしょうか?このクリスマスは『和解』をもって、イエス様のご降誕を迎えたいと思います