この私に目を留めて

ルカによる福音書1章26~56節  牧師 鈴木光

アドベント(待降節)です。マリアの賛歌からイエス様を迎える信仰を見ましょう。

1.魂(心)も霊も喜びたたえる
マリアはイエス様を迎えるにあたって高らかに賛美(祈り)を歌いました。その始まりはこうです。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます(46~47節)」
魂は心の深くにあるものです。私たちは思いや意志、感情など、心のすべてを用いて主をあがめましょう。「あがめる」とは大きなものとするということです。
霊は私たちに特別に吹き込まれている私たちの存在(命)そのものです(創世記2:7参照)。その霊が喜ぶのは、まさにイエス様を自分の主として信じて迎えた時です。マリアの胎内のイエス様を迎えて、エリサベトの胎内のヨハネも喜びおどりました(43節)。私たちもこのクリスマスの時、イエス様を迎えて、心でも霊でも主を喜びほめたたえましょう

2.この私に目を留めて
続けてマリアはこう言います。「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった(48節)」
マリアは天使からイエス様の受胎の話を告げられた時も、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように(38節)」といって信仰によって受け取りました。その信仰とは、主の前に謙遜なものの信仰です。
卑屈ということではありません。自分の価値を認めず、何も考えず、ただ言われたことに従う盲従の姿ではないのです。彼女の賛歌の続きをみれば、マリアが神様がいかに偉大で、同時に小さな自分をどんなに大切に見てくれているかを良く知っている様子がわかります。主の前にいつも進み出て、人と比べての評価ではなく、愛の神様自身の評価を受けましょう。謙遜なものとしてイエス様を迎えましょう。

3.約束の言葉
マリアの信仰の特徴をエリサベトも語っています。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう(45節)」
マリアは主の御言葉を信じる者でした。ずっと聖書で語られてきた救い主が与えられるという約束も、奇跡でなければあり得ない自分自身の受胎も信じて受け取ったのです。今日も主はあなたに語りかけます。信じてイエス様を迎えましょう!

<思い巡らし>
心でも霊でも賛美しよう/主の前で謙遜に迎えよう/御言葉信じる