うなじを固くして

エレミヤ書17章19~27節  牧師 鈴木光

エレミヤ書の続きです。安息日の守り方をとおして神様が語りかけています。

1.安息日を聖別しなさい
今日の個所では神様がエレミヤをとおして、ユダの人々に安息日を守るように語りかけています(21~22節)。「安息日」はもともと人々が奴隷となっていたエジプトから脱出してきたとき、モーセをとおして与えられた十戒の一つです。そこでは、六日日間働いて、七日目はいっさい「仕事をしない」ことと、その日を「聖別する」ことを命じています。
「仕事」や「生産(なにか産みだしたり役に立ったり)している」ことが第一とされ、人間の価値として見られるこの社会の中で、仕事を止めて神様と向き合うことは、まさに第一とするものは何かを告白することです。この日をとおして、私たちは神様の恵みによって生かされていることを知り、それを表します。
「聖別する」とは神様専用に取り分けることです。今の時代で言えば、礼拝に集うことですし、その日(に限らないですが)神様を喜んで過ごすことでしょう。

2.うなじを固くして
安息日の話は昨日今日語られたことではなく、人々にとってみんなよく知っている大切な言葉でした。では、実際はその教えをどうしていたかというと、人々は聞かず、従わず、受け入れませんでした(23節)。もちろん、あからさまな否定ではありません。表面上は敬い、実際は行動には反映しないのです。これを神様はここで「うなじを固くして(23節)」と表現しています。馬やロバが手綱でリードしようとしても全然言うことを聞かないイメージです。あなたはどうでしょうか。

3.忍耐強い主
ここで神様はあらためて、安息日を守るように語っています。しかも、その日は荷物を門から運び入れたりしないように、という具体的な例をあげていっています。もしそうするなら祝福があり、しないなら都は焼け落ちると言われます。厳しいと感じるでしょうか? 実際は真逆で、この神様に背き続けて末期状態の王国に、安息日の本当に簡単な具体的な一つのことをあげて立ち返るチャンスを示しているのです。とっくに見放されているはずの民への、恐るべき愛と忍耐の向きあい方です。
現在の私たちは、さらにイエス様によって滅びまで引き受けてもらい、ただ従って祝福を受けなさいと招かれています。聞き、従い、受け入れる者になりましょう。

<思い巡らし>
安息日とは/うなじを固くしていませんか/あなたの応答は?