孤独の中で
エレミヤ書16章1~13節 牧師 綿引久美子
神様の救済計画は、一回すべてをゼロに壊して、新しく建てあげます。
1.預言者の生涯(2,5,8節)
神様は、神様の民とされていたユダの人々に対して、裁きを下すことをお決めになります。その苦難の起こる前に、エレミヤは、神様から、エレミヤの生涯に対して具体的な指示を出されます。『家族を持たず独身でいること』『苦難(人の死)に対して嘆かず、悲しまないこと』『葬儀に出席しないこと』をエレミヤは神様に言われます。預言者の生涯が、神様の預言のメッセージを表すことがあります。イザヤは子供の名前を通して、他国に奪われることを意味しました。ホセヤは、不貞の女との結婚を通して、神様のありえない愛を意味しました。エゼキエルは、妻の死の痛みを通して、愛の存続を意味しました。エレミヤは、神様から引き離された民の苦難を意味します。
2.隠された神様の慰め(2,5,8節)
エレミヤの生涯に出された神様からの指示は、非常に辛いことでした。エレミヤの立場に立てば、苦難にしか思えません。しかし、『神は愛です』という視点で見ると、隠された神様の慰めが見えてきます。神様のお決めになった苦難は避けられません。先祖代々積み上げられて来た神様に対しての背き、そして悔い改めることのない民の姿は頑なです。神様は、苦渋の決断をもって裁きを下します。その中に、ご自分のために苦しむエレミヤをも免れはさせないのです。そのエレミヤの悲しみが少ないように、あえて孤独にさせるのです。家族を失う悲しみ、愛する者が死んで動物の餌食になってしまうその悲痛な痛みを、エレミヤには味合わせない、少しでも裁きの中で、痛みの少ない生涯を提案するのです。神様ご自身が、愛する民に背かれ続け、悲痛な孤独を味わい続けてきたからこその、愛する者への慰めなのです。
3.破滅で終わらない神の救い(13節)
神様は、自分を裏切り続ける民から一旦離れ、敵国の手に渡すことをお許しになります。神様が離れることは、喜びの声、祝いの声、今まで当たり前にあった祝福がすべて無くなることです。彼らは捕囚の民となり、自分の国を離れなければなりません。そして、すべては完全に破壊されるのです。実際エルサレムは陥落しました。民は
バビロニアに連れていかれました。しかし、この後イエス様がこの地に来られて、完全な救済計画を実現されたのです。救いの日は必ず来るのです。
黙示録では、私たちが必ず艱難に合うことは、知らされています。そしてその後神と人が共に暮らす天国での生活が約束されています。
私たちは、憐み深く慈しみに満ちた神様のお姿をいつも目に留めて生きるのです。
なぜなら、苦難の先に必ず、勝利の神様が私たちを集めて救い出すからです。
私たちは孤独にはなりません。主は必ず共にいて生きておられます。