すがりつくのはよしなさい
ヨハネによる福音書20章11~18節 牧師 鈴木光
イースター(復活祭)です。イエス様の復活を喜び祝いましょう!
1.涙から始まること
今日与えられているヨハネの福音書での復活の個所は、「マリアは墓の外に立って泣いていた(11節)」といって、「涙」から始まっています。
マリアはずっと信じて従ってきたイエス様が、恐ろしいやり方で殺され、しかもその遺体までもが誰かに取り去られてしまったと思って嘆き悲しんでいました。
人は誰でも心のどこかに同じような恐れや不安、悲しみを持っています。死の悲しみ、罪の恐ろしさを目にしての恐れ、そして頼るべきもののない不安やそれを失う喪失感。私たちの人生には悲しみが満ちています。
しかし、今日の聖書のメッセージは(つまりイースターのメッセージとは)、この復活こそがそれらの悲しみをくつがえす神様の御業であるということです。
2.振り返ればイエスがいる
マリアが背後に気配を感じて振り返ると、そこにイエス様がいました。ところが、最初マリアはそれがイエス様とは気づかず園丁だと思いました(14節)。無理もありません。普通、誰かが復活するとは思いもつかないからです。
しかし、イエス様とのやり取りをとおし、そして「マリア」と名前を呼ばれて「ハッ」と彼女は気づいて再び振り返って、それがイエス様だと気づきます(15~16節)。このプロセスは、まるで人がイエス様を信じていく実際の姿のようです。普通は信じられないものが、イエス様の気配をどこかに感じ、そしてその声を(聖書の言葉や祈りの中で)聞いていく中で確かに自分と向き合ってくれるイエス様に出会っていくものです。
3.すがりつくのはよしなさい
名前を呼ばれて気づいたマリアは思わずイエス様を「ラボニ」と呼びます。ユダヤ教の先生の中でも最大の尊敬を込めた呼称です。しかし、イエス様はその言葉を聞いて「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから(17節)」と言います。それは、彼女があくまで人間としてのイエス様にすがりつづけようとしたからです。私たちが頼るべきは、「偉い人」のイエス様ではありません。復活の主であり、私たちと共に生きてくださる神様です。
<思い巡らし>
頼るべきものない悲しみがありますか/振り返ってイエス様を見ましょう/単なる偉い人でなく、復活の主であるイエス様を喜び祝いましょう!