そして神に至る

ルカによる福音書3章23~38節  牧師 鈴木光

ルカの福音書では、イエス様の活動を書き始める前に「系図」を紹介しています。マタイの福音書にある系図とはまた違う視点に、メッセージが込められています。

1.人となられた神
 イエス様が活動を始めたのは「三十歳であった(23節)」と言います。当時の社会でも大人として一人前と見られるこの年齢まで、イエス様は普通の人間と同じように成長し、仕事をしてこられました。一方で、「ヨセフの子と思われていた」というように、普通の人間と同じではなく、マリアさんのお腹に聖霊が肉体をもって生まれた(つまり神が人になった)のがイエス様でもあります。
 そこから「さかのぼる」系図は、マリアさんの血筋による母方の系図です。ここには、世界も人間も造られた神様が、本当にその人間になって来られたということがあらためて確かめるように表されています。
 神様は人となって私たちのもとに来られました。この方がイエス様です。

2.そして神に至る、あなたの物語
 この系図の終わりは「…アダム。そして神に至る(38節)」とあります。マタイの福音書では、アブラハムからくだっていく神の民としてのユダヤ人の視点で書かれていますが、異邦人のルカはイエス様がユダヤ人だけの話ではないことを語っています。聖書が語っているのは、さかのぼって神様がはじめられたこの世界、そして私たち一人ひとりに関わることです。
 イエス様はあなたと関係のない誰かのためではなく、あなたのために来られた方です。聖書はあなたの話が書かれているのだと、主は語っているのです。

3.はるかに仰ぎ見たものを
 ずっとカタカナが並ぶ系図ですが、時折、旧約聖書では馴染み深い名前が出てきます。「…ダビデ、エッサイ(31~32節)」は旧約聖書の前半でも後半でも出てきます。歴史の登場人物として前半に出てきますが、後半では救い主が彼らの子孫として生まれることが預言されています。さらに、ダビデはその救い主を自分の子孫としてではなく、待ち望んでいる「我が主」だと語ります(詩編110)。人々が待ち望んでいた救い主を、私たちは既に迎えています。今も、あなたが信じて迎える時に、イエス様が共におられます。

<思い巡らし>
神様は私たちを愛して人になりました/聖書はあなたと神様に関することが書かれています/今、私たちはイエス様を迎えることができます。