人となられたメシア

ルカによる福音書3章15~22節  牧師 綿引久美子

いよいよイエス様の使命である人類救済計画がスタートします。

1.洗礼者ヨハネからメシアであるイエス様へ(15~16節)
 この時代の人たちは、メシア(救い主)が来られることを待ち望んでいました。そして「ヨセフこそがメシアではないか?」と心に期待を持っていたのです。それを知っていたヨセフは、まことの救い主であるイエス様が来られることを人々に伝えます。ヨセフが荒野で授けていた洗礼(バプテスマ)」は救いを受けるための準備です。メシアの授ける洗礼は、『聖霊と火』によって神様と一つになることです。そしてこれこそが「福音(神様からの救済)」であることを人々に教えます。この後、洗礼者ヨハネは、領主ヘロデによってこの地上の働きを終えることになります。

2.新しい時代の始まり(21~22節)
 神の子でありながらイエス様は、民衆と共に洗礼を受けます。しかし、イエス様の洗礼は人にわかる形で、現れます。神様が一体となった姿を見せるのです。聖霊なる神様は鳩のようになって現れ、父なる神様は声となって現れました。世界が創造された時、神様は三位一体の姿でその業をなされました。アダムの失敗(罪の存在)によって神様と一つになれない人間を、御子をメシアとしてこの地に与えることで、神様は再度、人との関係(義)を創り直す、このことがイエス様の洗礼です。ここから新しい時が始まります。

3.人となられたメシア(21~22節)
 この著者であるルカは、異邦人です。イエス様時代以前は神の民には入れない存在です。イエス様の洗礼の場面で、ルカだけが記したのは『祈っておられる』イエス様の姿です。今の私たちにも通じることですが、神様と一つになるには『祈りと聖霊なる神様』が必要不可欠であることを強調して教えています。そして、人となられたイエス様がそこにいなければ、決して人が救われることのないことを私たちは確信するのです。イエス様こそが「人となられたメシア」です。この後にある系図には、アダムが記されています。アダムは最初の人であり、罪(神に背いた)人です。ルカは、人として『祈りと聖霊なる神様と人となられたイエス様』を持ってこそ神と共にある命に生かされることを強く教えています。
 人として生きるために大切なことです。心に留めて、日々神様と共に人生を紡いでいきましょう。