鶏が鳴く前に

マタイによる福音書26章69~75節  牧師 鈴木光

捕らえられたイエス様の後をひそかにつけたペトロでしたが、非公式の裁判で悪意と暴力にさらされるイエス様の姿を見てすっかり恐れてしまいます。

1.見捨てられる
 イエス様と一緒にいた仲間ではないか、と問われてペトロは「皆の前で」それを否定します。かつて、イエス様は「人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う(10:33)」と言っていました。
 しかし、ペトロはイエス様を知らないと言いましたが、神様に「知らない」と見捨てられたのはペトロではなく、身代わりになった十字架の上のイエス様でした。

2.「そんな人」
 再びイエス様と一緒にいただろうと問いただされると、ペトロは誓って「そんな人は知らない(72節)」と言ってしまいます。この「人」というのは文字どおり「人間」という言葉です。かつて、ペトロはイエス様に「あなたはメシア、生ける神の子(神が人となれらた方)です」と言って、その信仰を認められました。しかし、今やペトロは「そんな人間は知らない」とまで言ってしまったのです。

3.呪いの言葉
 さらに「お前もあの連中の仲間だ」と言われて、いよいよペトロは「呪いの言葉さえ口にしながら」それを否定しました(73~74節)。呪ってまで自己保身に走りましたが、その呪いはペトロにではなく、なんとイエス様が引き受けました。「木にかけられた者は皆呪われている(ガラテヤ3:13)」とあるように、イエス様は十字架で私たちが正しくないゆえに受けるべき呪いのすべてを代わりに受け取りました。私たちの代わりにイエス様が呪われたのです。

4.鶏が鳴く前に
 かつて、イエス様が予告したように、ペトロが三度イエス様を否定するとすぐに鶏が鳴きました。鶏が鳴くのはまだ暗いうちです。しかし、やがて夜明けがきます。同じように、ペトロが代表してくれたすべての私たちの罪も闇も、この後に赦されます。それがイエス様の十字架です。泣いて悔い改めたペトロはやがて復活したイエス様と会って再びイエス様と共に歩み始めます。

<思い巡らし>
ペトロの姿は私たちの姿です。私たちも自分の内にある正しくあれない罪も暗闇も素直に打ち明けて、イエス様のゆるしを受け取りましょう