高価な香油と銀貨三十枚
マタイによる福音書26章1~16節 牧師 鈴木光
イエス様は弟子たちに語るべきことを語り終えると、ご自分が十字架にかけられる時が二日後の過越祭に迫っているとはっきり宣言しました。そんな中で、二人の人物がそれぞれイエス様の十字架に向けて対照的な行動をとります。
1.高価な香油を注いだ一人の女
まず一人はヨハネの福音書ではマルタやラザロの姉妹である「マリア」だと記されている女性です。しかし、このマタイによる福音書ではただ「一人の女」と書かれています。それは、彼女の行動が個人的なものとして終わるのではなく、私たちが自分を見る鏡として見るべきものだからです。
彼女は「極めて高価な香油(ざっと一年分の給料相当)」を持ってきて、イエス様の頭に注ぎました。頭に香油を注ぐのは賓客を迎える時によくあったことのようです。しかし、彼女が注いだ香油の高価さは普通ではありませんでした。
他の弟子たちは「無駄遣い」「貧しい人々に施すことができたのに」と彼女を批判します。弟子たちはイエス様と行動する中で、金や物に執着しない生き方や、貧しい人を助けることの大切さを学んだのでこう言ったのでしょう。どちらも大事なことです。でも、それはあくまで表面上の形を学んだだけでした。
イエス様は彼女のしたことを喜び、自分の葬りの準備をしてくれたと言い、イエス様の福音が伝わる世界中で「この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言われました。記念するべき彼女のしたこととは何でしょうか。それはうわべだけの行動ではなくて、イエス様に対する謙遜や、忠実さ、そして何より献身でした。イエス様の十字架を覚えて、その主に忠実に自分をささげていくことです。
2.銀貨三十枚のユダ
一方で、イスカリオテのユダは、イエス様をねたんで殺害計画を立てていた祭司長たちのもとに行き、銀貨三十枚(先ほどの香油の10分の1)でイエス様を引き渡す算段をつけてきました。マリア(女)がpricelessなイエス様に献身するのに対し、ユダはわずかな金をイエス様の価値として値段をつけて売りました。
この二日後、イエス様は私たちのすべての人の罪を赦して、その命を滅びから救う身代わりとして命を捨てました。ユダは悔い改めるのではなく、自分の惨めさと虚しさを抱えて自害しました。マリアは自分のために命を払ってくれたイエス様の愛に応えて、香油をささげていたのです。
<思い巡らし>
あなたは何を持って自分の価値をはかりますか?