安息日の恵み

レビ記23章26~32節  牧師 宮地宏一

レビ記23章を通して、「贖罪日」と「安息日」との関係、そして「安息日」の恵みについて、みことばから聴いていきましょう。十戒の第四戒は「安息日を心に留め、これを聖別せよ」ですね。これはどういうことでしょうか。

1.安息日は主の日、主の聖日
安息日は主の日、主の聖なる日なので、礼拝を献げた後は、自分たちの好きなようにして良いわけではありません。安息日を通して、「主を自分の喜び」としているかどうか、吟味することが大切です。

2.安息日を普段の日と区別する
安息日は、日常生活を一旦ストップし、日常生活から切り離す日であり、これこそ全き休みの安息日です。確かに様々な問題が私たちにはあり、休んでいられないと思うことがあります。けれど自らのわざをやめ、主に信頼し歩むなら、主は私たちが思いもつかなかった解決策を与えてくださるのです。

3.安息日は苦行をする日
「苦行をする」「自らを戒める」とは、自分の罪を嘆き悲しむこと。けれど、ただ自分の罪を嘆き悲しむだけでは、惨めになるだけですが、自分の罪を知ることは、恵みとなります。右の図を見ると、分かりますように、主イエス様を信じて救われたとき、私たちは主なる神さまのきよさと、自らの罪深さが良く分かっていませんでした。けれど聖霊の働きによって、私たちは主のきよさと、自らの罪深さを知ることになり、そのギャップがどんどん大きくなるのです。そうすると、イエスさまの十字架がどんどん大きくなり、主の十字架の恵みを心から感謝することができます。これが私たちにとって何よりも大きな恵みなのです。

<まとめ>
今日は安息日です。主を私たちの喜びとする日であり、私たちのわざをやめるとき、手放すときであり、自らの罪を深く嘆き悲しみ、主イエスさまの十字架の贖いに感謝する日です。この安息日をもって、私たちは一週間を歩む力をいただくことができるのです。