ルカによる福音書15章11~32節  牧師 鈴木光

夏の間はルカ福音書のイエス様の語るたとえ話に注目しています。今日は、いわゆる「放蕩息子のたとえ話」の個所です。

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1.支配ではなく愛の関係を
 このたとえ話をとおして、天の父なる神様の変わらない愛がよくあらわされています。この話には一人のお父さんと、二人の兄弟が出てきます。弟が財産分与を願い出て、お父さんが二人に分けると、弟は外国に旅立ち、はちゃめちゃに使い果たしてしまいます。
 そもそもなぜ分けて、旅立つことをゆるしたのかと思いますが、それは神様の望んでいる私たちとの愛の関係の土台に、私たちが自分の意志で応答することがあるからです。
 神様はアダムとエバの時から、自由な意志を与えて創造されました。それは裏切ることすらできるほどの自由意志でした。神様なら、有無も言わさず信じて従う者に造れたはずですが、そうしなかったのは、支配の関係は愛の関係ではないからです。
 天の父なる神様は、創造の初めから変わらぬ愛で私たちに自由を与えられています。

2.変わらぬ「子への愛」
 財産を使い果たして死にかけた弟は我に返り、家に帰って謝り、「もう息子と呼ばれる資格はないから雇人の一人として置いてください」と願うことにしました。しかし、父はずっと待っていて、弟を遠くから見つけて抱きしめ、「息子と呼ばれる資格は」とすら言わせずに我が子としてもう一度迎えました。
 父なる神様は、私たちが神様に立ち返る時、ゆるし、我が子として迎えてくれます。

3.公平な愛
 兄はこのことに怒りました。父は彼をなだめ、「お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と言いました。兄は財産を受け取り、その恩に応えねばと頑張ってきたのでしょう。しかし、父の願いは財産分与への感謝やgive & takeではなく、彼が父と共にいる時間を喜んでくれることでした。
 父なる神様は、私たちに見返りを望んでいるのではなく、共に生きることを願っています。

<思い巡らし>
自由を与える天の父の愛/ゆるし、我が子とする愛/共に生きる愛