収穫の働き手
マタイによる福音書9章35節~10章4節
マタイ福音書を再び読み進めていきます。イエス様が十二使徒を選び、呼びます。
1.イエス様のまなざし
イエス様はガリラヤの町や村を残らず回って、癒しの奇跡を行い、また教え、福音を伝えました。そして、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた(36節)」のです。
今、世界中が弱り果て、打ちひしがれています。まるで現在の私たちに語られているようです。そして、弱り、打ちひしがれる私たちを見て、イエス様は「深く憐れんで」おられます。聖書の「憐れむ」は上から目線の同情ではなく、共にお腹を痛めるように苦しみを味わう表現です。イエス様は苦しみを分かってくれます。
2.収穫は多いが、働き手が少ない
そこでイエス様は弟子たちに「収穫は多いが、働き手が少ない(37節)」と言われました。イエス様を求め、救いを受け取るのを待っている人がたくさんいるのに、それを伝える働き手が足りないというのです。伝えるものがいなければ、聞く機会はありません。聞く耳のあるものはいないと勝手に決めてはいけません。福音を待っている人々が確かにいるのです。
3.働き手を送ってくれるように祈りなさい
「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい(38節)」とイエス様は言われます。「だから、あなたが働きなさい」ではなく、まず「祈りなさい」とイエス様は命じました。祈りましょう。
4.そして選ばれる人々
続けてイエス様は弟子たちの中から十二人を選び、使徒としました。「祈りなさい」と言った弟子たちの中から十二名を選びました。しかも、非常にバラエティに富んだ十二人です。主は私たちを選びます。それは能力や生まれによらず、ただ主の選びによってです。私たちも祈り、そして呼ばれる声に(聖書の言葉、聖霊の導き)に応えるものとなりましょう。
<思い巡らし>
イエス様の目線で見よう、働き手のため祈ろう、御声に応えよう。