思い悩むな
マタイによる福音書6章25~34節
弟子たちに向けた山の上の説教は、さらに私たちの生活に踏み込んだ話へと進んでいきます。
1.「思い悩むな」(25節)
「何を食べようか?」「何を着ようか?」、私たちが毎日当たり前に考えることをイエス様は「思い悩むな」と言います。なぜなら、この体、そして命があってこその悩みであって、本来は体と命のことを考えるべきではないのか?と問いかけます。当たり前だと思っている私たちの体や命、それは神様によって造られたものなのです。これは弟子だけではなく、私たちにも語りかけているイエス様の言葉ではないでしょうか?あって当然のもの、それが神様からいただいたものであることにあらためて、目を留めたいと思います。
2.「信仰の薄い者」(30後半~31節)
イエス様は突然に「信仰の薄い者よ」と呼びかけます。前後の流れからいくと唐突にこの言葉があるように感じます。しかし、この言葉にこそ私たちの気づかない大きな問題が隠されています。日常、私たちの頭を悩ます「思い悩み」は、私たちの信仰の問題だとイエス様は教えられます。なぜなら、私たちは創造主を知っているのに、自分本意に行動し、心を煩っているからです。創造主、そして助け主でありながら友のように親しい神様に一切をお任せすることができたなら、私たちは悩むことはないのかもしれません。
3.「神の国と神の義」(33節)
イエス様は、何か心配事が生じたなら「神の国と神の義を求めなさい」と言われます。「神の国」は神様のご支配されるところ、そして「神の義」は神様との正しい関係にあることです。簡単に言えば「神様を信じお任せして、神様の言うことを聞いて行いなさい」ということです。
<思い巡らし>
自己実現でなく神様の御心に生きることができるなら、私たちの人生は、悩みなし!