地より天に財産を

マタイによる福音書6章16~24節 

イエス様の山の上で弟子たちに語られたメッセージ。人の評価や、地上の財産に支配されるのではなく、神様に仕えるものは幸いだと語られます。

日本キリスト教団勝田教会さんの投稿 2020年10月10日土曜日

1.その行動は誰に見せているのか?
 最初の話題は「断食」です。聖書の中では、神様との関係を深めることに集中するために、断食をすることが勧められています。当時のユダヤの人々の間では、熱心に断食をしている人は、信心深い立派な人だと評価されました。そのため、熱心さをアピールして、さも苦しそうに断食する人々がいました。イエス様はそれを偽善者だとはっきり言い、真似してはいけないと語ります。もし人に見せるなら、人の評価で十分でしょう。しかし、誰にも気づかれずに、ただ神様との関係を深めるためにする断食には神様ご自身が豊かな祝福で応えてくれるでしょう(16~18節)。
 さて、あなたは、誰の評価を気にして(求めて)行動していますか?

2.天に富を積みなさい
 地上の富(財産)は「虫が食ったり、さび付いたり」、盗まれたりします。だから「富は、天に積みなさい」とイエス様は教えます(19~20節)。これは、善いことをすると天国で使える財産が増えるという話ではありません。その発想自体が、完全に地上の富に支配された感覚です。天国がそんな所なら、結局地上と何が違うのでしょうか。そうではなく、天上の富は究極的には神様そのものなのです。
 私たちが地上で歩む神様との時間が、築かれていった神様との関係が、神様から与えられた愛と恵みの一つ一つが、そのまま地続きで、天で受け取る財産になっていきます。それは虫食うことも、さび付くことも、誰かに奪われることもない、完全な幸いです。

3.あなたの心はどこにありますか?
 「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ(21節)」とイエス様は言います。そして、神様のもとに生きる人の心は明るくなります。地上のもの(富)に心をゆだねれば、それは支配されて暗くなっていきます。神様と富の両方に、同時に仕えることはできません。あなたの心はどこで、何に支配されていますか?

<思い巡らし>
誰の目を意識しますか。天に富を積もう。心はどこにありますか