罪を十字架にかけ
エフェソの信徒への手紙2章11~22節
教会暦ではレント(受難節)を過ごしています。十字架の意味を思い巡らします。
1.罪を十字架にかけた
十字架は神様と私たちを「和解させ」ました(16節)。私たちは皆、神様に造られた「極めて良い」ものですが、同時に私たちは皆、「この世の中で希望を持たず、神を知らず」に生きようとする罪の性質を持っています。罪は神様と私たちの関係を壊している大きな壁でしたが、神様は私たちがご自分から離れたまま滅ぶことを喜ばれませんでした。
それで、神様は人となり、その罪の罰をすべてその身に負って十字架にかかりました。これが、イエス様の十字架です。罪のない自らを罪人として、十字架で私たちと和解されたのです。イエス様の十字架は私たちと神様の隔ての壁を取り除かれました。
2.二つのものを一つに
十字架は私たちを「神の家族」にしました(19節)。旧約聖書の民、ユダヤ人だけではありません。民族や地域に関わらず、性別や立場にも関わらず、どんな生き方をしてきたとしても、すべての造られた人々を皆、神様の子どもとされました。
教会はキリストの体です。それは神様の子どもとされたクリスチャンすべてを含んだ、ただ一つの存在です。〇〇教会と名前のついた存在はたくさんあっても、その真の姿は十字架によって建てられた一つのキリストの体です。
3.敵意を滅ぼして
十字架は「敵意」を滅ぼしました(16節)。イエス様は「敵を愛しなさい」と言います。それはご自分が十字架によって罪人の私たちを赦したからです。愛することは赦すことでもあります。この十字架の愛を受け取る時に、私たちは本当の意味で愛することのスタート地点に立つことができるのです。
<思い巡らし>
十字架は神様と私たちの壁、私たち同士の壁、敵との壁、みな打ち砕きました。