過酷な旅
民数記21章1~20節
約束の土地に向かうモーセとイスラエルの民の旅は、過酷なものでした。
1.守る信仰
旅を始めようとした矢先に、カナン人に攻撃を受け、仲間たちが捕虜にとられてしまいます(1節)。そこで、イスラエルの民は「この民をわたしの手に渡してくださるならば、必ず彼らの町を絶滅させます(2節)」と誓いを立てて、見事に敵を破りました。「絶滅」とは文字通り滅ぼしつくすことで、非常に恐ろしいことですが、その意図は残虐性ではなく、戦利品などを惜しんでとっておくなということです。神様に相応しくないものでも、惜しんで手放そうとしないと、やがて神様から離れていく誘惑となることを現在の私たちにも象徴的に示している出来事です。
天国という約束の地に向かって歩む現在の私たちの歩みも、自己点検をして、惜しんで手放していない罪や悪習慣から離れて、よく信仰を守ることが大切です。
2.仰ぎ見る信仰
敵との戦いの次は、民の不信仰から始まる出来事です。民はまた不平不満をつぶやき、神様から怒られます。とりなして祈るモーセに、神様は不思議な命令をします。青銅の蛇を作って旗竿に掲げ、それを仰ぐ民は癒されるというものです。この出来事は実はイエス様への信仰と重ねて見る時、真意がわかります。それは、常識では考えられないイエス様の復活と昇天を信じて仰ぐとき、私たちが永遠の命を受けるという約束を表しています(ヨハネ3:14)。天国への旅路の鍵は、イエス様を信じて仰ぎ見る信仰にあります。
3.感謝と賛美の信仰
さらに旅を続けていくと、主が民のために井戸を用意してくれました。そこで、彼らはその喜びを歌にして神様にささげます(16~17節)。これまでは、不満をつぶやいて、神様から受け取る繰り返しでしたが、ここにきて彼らは忍耐して待ち、主の最善のタイミングで受け取ることがついにできました。願うこと多く、感謝の少ない信仰から、信頼して待ち、感謝と賛美をささげる信仰に成長しました。
<思い巡らしてみましょう>
誘惑から離れる。主イエスを仰ぎ見る。恵みを数え感謝をささげる