アロンの死

民数記20章22~29節

モーセと共にイスラエルの民を率いてきた大祭司アロンが、死の時を迎えます

1.先祖の列に加えられる

主なる神様はアロンが死の時を迎えることを「先祖の列に加えられる(24節)」と語られました。原語を直訳すれば「民のもとに集められる」という表現です。民とは「神様の民」のことであり、「集められる」は収穫の刈り入れなどでも使われる言葉です。つまり、アロンが既に神様のもとに召された神の民に加えられるために、地上の生涯を終えて豊かな実りとして主のもとに行くということを語っています。ここには聖書を通しての「死」に対しての希望に満ちた理解と、アロンの信仰を神様が確かに認めておられたという愛のメッセージが込められています。

アロンもモーセも、神様の命令に背いたことで地上での約束の地へ入ることを禁じられますが、天の約束の地へと招きいれられていることを主が自ら示されました。

今を生きる私たちにも天国への約束があります。「独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得る(ヨハネ3章16節)」信じる者は幸いです。

 

2.衣を引き継ぐ

アロンの死に際して、主はモーセに山に彼と後継者を連れて登り、そこでアロンの衣(大祭司の祭服)を脱がせて、後継者のエリアザルに着せるように命じます(25~26節)。大祭司の祭服にはイスラエルの民を高価で尊いものとして、あるいは聖なるものとして向き合っている神様の眼差しが表現されています(出エジプト28章など)。世代交代が進むイスラエルの民の中で、最も大切な神様との関係が確かに引き継がれていく様子がよく分かります。主の愛を次の世代に引き継ぎましょう。

 

3.民の見守る中

イスラエルの民はアロンが山を登っていき、そして降りて来ない一部始終を見守っていました。そして、30日間にわたってその死を悼みました(27~29節)。色々な失敗もしてきたけれども、確かに主に従い通したアロンの人生を思い起こして民は多くを得たでしょう。信仰者の死は悲しみだけでない何かをもたらします。人生の終わりに何を残すのか。主と向き合って歩む人生には必ず豊かな実が残ります。

 

<思い巡らしてみましょう>

死は誰にでも訪れます。信仰によってそれは希望に変わります。