深い憐れみ
マルコによる福音書1章35~45節
イエス様の宣教の旅が続きます。
1.寂しいところで
イエス様が病人を癒したり、悪霊を追い出したりしている噂を聞きつけて、その地方一帯から人々が押し寄せてきました。そんな中でイエス様が大切にしていたのは、夜も明けきらない早い時間から、「人里離れた所へ出て行き」祈ることでした(35節)。誰もいない、荒野のような、寂しいこの場所は、ただ神様だけに目を向けて主の御心を聞くために必要なところです。
主イエスは文字通り「主」でもありますから、祈らずとも誰よりも神様と思いを一つにしているはずですが、私たちにその時間の大切さを示すように行動をされました。主の前に静まって耳を傾け、祈り、聖書を開く時間を持ちましょう。
2.御心ならば、できます
その寂しいところに一人の「重い皮膚病」を患っている人がきました。そして、イエス様の前にひざまずいて「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願いました(40節)。彼はイエス様を主だと信じて来ました。それは「病気を癒せ」というのではなく、人には不可能な「清くする」という神様の御業を求めた姿からよくわかります。多くの人々が奇跡という自分への利益を求めて殺到する中で、この病の人だけは「癒し」以上の救いを求めて、ついに主に出会いました。信心は「信じる自分の心」を誇りますが、信仰は「信じて主を仰ぐ」ことです。
3.深い憐れみ
彼の信仰にイエス様は「深い憐れみ」を持って応えました(41節)。
病を負った彼は、ただ信じて聖なる主を仰ぎました。その信仰を見て、彼の病と痛みを主イエスは憐れみました。「憐れむ」という日本語はどこか惨めなものを見下す印象がありますが、聖書で使われる「憐れみ」には元々「はらわた」の意味があります。心の奥底から苦しみや痛みを共にするのが主イエスの憐れみです。その憐れみを持ってイエス様は感染性の病を持つ彼に触れ、「清くなれ」と命じました。彼が得たのは単なる地上の癒しを超えた、天国に至る救いでした。
<思い巡らしてみましょう>
信じて主イエスの前に進み出ましょう。主イエスを伝えましょう。