民数記 3章1~13節
レビ人という、特別に神様に仕える一族とされた人々について書かれています。
1.神様のやり方で
祭司はモーセのパートナーであるアロンの一族が「油注がれて(3節)」なりました。幕屋(後の神殿)で神様に仕えるのが仕事です。それは聖別された特別な仕事として彼らにだけ許されていることでした。
しかし、今日の箇所には同時に神様の決めたやり方に従わずに、命を落とした二人の祭司についても書かれています(4節)。これは、神様に仕えることは、自分のやり方や思惑とは違っていても神様のやり方に従うということだと教えています。
イエス様を信じて従う人は皆、現代の祭司です。私たちは自分のやり方に固執するのではなく、主のやり方によく耳を傾けて従うものとなりましょう。
2.聖なる番人
レビ人は祭司たちをサポートして幕屋で仕えるようにささげられた人々でした。彼らは幕屋やその祭具を警護したりすることも任せられました。それは逆に言えば、他の人々が勝手に幕屋の働きに手を出して、死を招くことのないようにする役目でもありました(10節)。イエス様の十字架以後、私たちは幕屋や神殿などにはとらわれず、どのような場所でも主に仕えて働くことができます。しかも、どんなに小さな仕事でも、私たちが「ここで主に仕える」と真剣にささげるなら、それは命に関わるほど特別な大切な働きとなります。
3主のもの
レビ人を神様は繰り返し「わたしのもの(13~14節)」と呼んでいます。主はイエス様に従う一人一人を愛を込めて「わたしのもの」と呼ばれます。
不思議なことですが、「わたしはわたしのもの」と思っている間は神様の祝福は訪れません。しかし、主の「わたしのものよ」という呼びかけに応えて、「わたしはあなたのものです!」と信仰告白をしていく人は、主の大きな御業を体験していくようになります。主に明け渡して、代わりに大きな祝福を受け取りましょう。
<思い巡らしてみましょう>
どのように自分の仕事に取り組んでいますか?あなたは誰のものですか?