人生の荒れ野を行く

民数記 1章1~19節

民教記を読み始めます。モーセとイスラエル民の荒れ野の旅が始まります。

1.荒れ野にて

「民数記」という書名は古いギリシア語訳の聖書で使われたものに由来します。文字通り、今日の箇所にもあるようにイスラエルの民の人口を数える場面に特に注目したタイトルです。とはいえ、民教記は「人口調査がテーマの退屈な書」ではありません。元々、ユダヤの人々自身は、原語で1節に出てくる「(主が)仰せになった」か「荒れ野にいた」という単語をこの書のタイトルとしてきました。
「主に命じられて」、イスラエルの民が「荒れ野」を旅し、神の民として訓練され成長していく姿こそが、この書の真のテーマです。その旅路を見ることは、現在の私たち、すなわち天国への旅人である信仰者・教会にとって大きな恵みです。

2.人口調査

この真のテーマを念頭に、今日の箇所の「人口調査(2節)」の意味を見ましょう。
第一に、この人ロ調査をして全体を把握することは、神様の民として歩み出す大切な準備でした。奴隷とされていたエジプトを脱出し(出エジプト)、神様の民としての契約を結んで律法を与えられ(レビ記)、そして今、新生した自分たちの姿を確認して旅が始まります。新生した信仰者は自分の姿を確認して歩み始めます。
第二に、人ロ調査は祝福の約束を確認するためのプロセスです。「約束の地」と「多くの子孫」を与えるという主の約束を、調査を通して現在進行形で確認できます。信仰者は自分自身を振り返って主の約束の確かさを味わいます。

3.行軍の準備

さらに、この調査を通して、「兵役に就くことのできる二十歳以上の(3節)」男性を部隊として登録することが命じられています。これから始まる荒れ野の旅路で、幕屋(移動式の神殿)を囲んで、すなわち神様を中心に歩んでいく隊列を組むためであり、また外敵との戦いを勝ち抜いて約束の地へと到達するためです。
信仰の旅路は常に主を中心することが必要です。そして、いかなる地上の霊的な戦いにも負けずに天の御国へと歩んでいきたいものです。

<思い巡らしてみましょう>

天国に向かって歩んでいますか?主を中心として歩んでいますか?