この地に凛として立つ

第一ペトロの手紙2章11~17節  牧師 鈴木光

この世界でクリスチャンとして生きることについて、御言葉を聞きましょう。

1.旅人として生きる
まずペトロは「旅人であり、仮住まいの身なのですから(11節)」と信仰者がどんな存在なのかを語ります。私たちは天国に本籍のあるものです。この地上の旅路はそこに向かう途上で、立ち寄っているだけなのだと考えるべきです。旅人は、旅先において本国の代表者のようにも見られます。その人をとおして本国がどんなところかを判断されることがあります。旅の恥は搔き捨てという態度では天の国を誤解されてしまうでしょう。相応しくあるにはどうすべきでしょうか。まず語られているのは「魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい(同上)」ということです。罪に引き寄せようとする誘惑からは最初から近づかないようにしましょう。

2.この地に凛として立つ
続けて「異教徒の間で立派に生活しなさい(12節)」と言います。イエス様も私たちのために、この世界から取り去るのではなく、悪い物から守ってくださるようにと神様に祈ってくれました(ヨハネ17:14~19参照)。それは、立派な生活を見て、人々が「訪れの日に神をあがめるようになるため(同上)」です。私たちの生き方が他と何も違わないのなら、イエス様に従うことの恵みを誰も気に留めることがないでしょう。しかし、世の価値観と違っていたり、損をしているように見えたりしても、まずイエス様がされたように行動することを選んでいきましょう。

3.自由な人として
一方で、世の価値観と違ってもということが、世の制度や権力に反逆するように教えていると誤解してはいけません。「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい(13節)」と言って、皇帝や総督の命令を尊重することも教えています。もちろん、皇帝を神のように扱ってはいけません。しかし、主を主とした上で、地上の秩序を尊重して行動します。具体的に次のことをペトロは続けて話します。第一に「善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じること(15節)」です。悪に対して悪で応えるのではなく、善をもっていつも応えましょう。第二に罪の奴隷ではなく、「自由な人として(16節)」生きることです。それは、罪に無頓着と言う意味ではなく、神様の僕として相応しい生き方をすることです。
最後に、神様を畏れ、人も皇帝も尊重し、互いに愛しあう生き方をすることです。

<思い巡らし>
天に帰る旅人として/立派な生活/善を行う/罪の奴隷でなく/