石

ペトロの手紙Ⅰ2章1~10節  牧師 綿引久美子

ペトロは『石』を用いて、キリスト者としての生き方、そしてキリスト者としてのアイデンティティを教えています。

1.『生きた石』として生きること。(1~3節)
イエス様の十字架と復活によって救われた人たち、キリスト者は『生きた石』だとペトロは言います。『生きた石』は乳飲み子のように混じりけのない霊の乳を日ごとの糧として主にあって成長し続けます。それこそが『生ける石』の生き方です。自分が本当に欲しいものを求めるように、貪欲に霊の乳を慕い求めて生きるのです。霊の乳とは、『神のことば』です。『言は神であった』(ヨハネ1:1)とあるように、神のことばには命があります。生ける言です。神のことばに従い生きることこそ、『生きた石』として生きることです。

2.『生きた石』のするべきこと(4~5節)
神のことばを慕い求めることが個人的な生き方であるなら、共同体として生きる生き方、キリスト者がすべきことは、『霊的な家を建て上げること』です。『霊的な家』は『生きた石』が集合しているところ、『教会を建て上げる』ことです。教会は、神様の住まわれる所です。この時代の家は、石を積み上げて建て上げます。『生きた石』が積み上げられたところ、それが教会です。その中心に礎えられた石、それが『隅の親石であるイエス様』です。私たちは、イエス様という『生きた石』を通して、同じ『生きた石』として、選ばれた神の民であることを自分のアイデンティティとするべきです。イエス様をわが主として信じた者だけがわかる、自分にとって命を育むかけがえのない石の源、それが『隅の親石』である『生きた石』です。

3.神の民こそが『生きた石』(9~10節)
イエス様を信じ救いに預かったキリスト者は、神様からいただく『永遠の命』に生きる者となります。その者こそ『生きた石』なのです。イエス様と同じ命に預かることが赦された人たちです。神のものとなった人たちです。しかし、信じない者は『隅の親石』につまずき、邪魔にさえ感じる、捨てるべき石に見えるのです。神側の者になるということは、この地上では多くの試練があります。この世では異邦人であって仮住まいなのです。国籍が天にあるからです。この地上で、私たちは、御言葉に聴き、その言葉に導かれ日々生活することが求められます。私たちは、かつて暗闇に属したことのある罪人ですから、神様に聞き従うには、選びの決心が必要です。しかし、『隅の親石』にあって自分自身の人生が建て上げられているのですから、天の国の聖なる国民であること、そして神の子とされた王の系統をひく祭司であることを自分のアイデンティティとして生きていきましょう。