しようとしたこと
ヨハネによる福音書6章1~15節 牧師 鈴木光
「五千人の給食」と呼ばれる、イエス様が五千人の人々を、わずかな食べ物から増やして満腹させた出来事をとおして、イエス様のしようとしたことは何でしょう。
1.弟子たちを育てる
イエス様は群衆を見て、弟子のフィリポに彼らに食べ物を与えるにはどうしたらよいと思うか質問します。それは「フィリポを試みるためであって、ご自分では何をしようとしているか知っておられた」のです(5~6節)。
試みると言うのは、いじわるを仕掛けているわけではなく、もちろん弟子たちの信仰を育てるためです。
フィリポは相当な金額をお金があったとしても「足りないでしょう(7節)」と答え、別の弟子のアンデレは少年が提供してくれたパン五つと魚二匹では「何の役にも立たないでしょう(9節)」と言いました。しかし、イエス様がパンと魚を受け取って祈り、分け始めるとそれは五千人以上の人々が満腹するまで増えたのでした(10~11節)。
弟子たちは自分たちの手元にあるものを足りない、役に立たない、と思ってイエス様がしてくださることを考えずに諦めました。しかし、イエス様がそれを用いてくださったとき、驚くべきことが起きたのです。私たちも足りない、役に立たない、ではなく、イエス様を信じて持っているものを用いてもらうものになりましょう。
2.イエス様がどんな方か知る
この出来事をとおして、人々は「満腹(12節)」し、弟子たちは余りを回収して「十二の籠がいっぱい(13節)」になっていることを見ました。イエス様は私たちが求める時、私たちの必要を満たし、またそれ以上に豊かに与えてくださる方です。
3.群衆から弟子となる招き
一方で、群衆はこの出来事を経てイエス様を「預言者(立派な先生)」とほめましたが、それはイエス様を主と信じる信仰ではありませんでした。また、イエス様を主と信じて従うのではなく、自分たちに都合の良い「王」として連れて行こうとしたのでイエス様は去りました(14~15節)。群衆はイエス様から自分に都合の良い物を得たい人ですが、弟子はイエス様を信じて従い、共に生きる者です。今日の個所はまた、イエス様のあなたへの群衆から弟子となることへの招きでもあります。
<思い巡らし>
足りないではなく/イエス様は満たしあふれさせる/弟子への招き



