友人のためにできること

ルカによる福音書5章17~26節  牧師 綿引久美子

中風を患った人のために友人がしたこと。それはイエス様が神の子であることを顕わすきっかけとなりました。

1.きっかけの出来事(17~19節)
イエス様の宣教活動がいよいよ始まりました。始まってすぐにイエス様を拒む人たちが現れます。この出来事の背景にはそういった人もイエス様の元に集まっていました。「ファリサイ派」や律法の教師」は、最初からイエス様の論敵としてここに来ました。そのような論争状況のただ中でイエス様は、病を癒す神の御業を行いました。
中風の人を癒してもらいたいと彼の友人たちがイエス様の所へ彼を床ごと担いで来ました。友人たちの彼に対する熱意とどうしてもイエス様に癒していただきたいというイエス様に対する求道心に、イエス様は喜ばれ彼らの願い以上の驚くべき恵みの御業を施します。

2.恵みの御業の全容(20節)
『あなたの罪は赦された』イエス様のことばは、驚くべきものでした。何故なら、友人たちは、自分たちが目にしている友人の生活の不自由さからの解放をイエス様に求めたからです。しかし、イエス様は、友人たちにも関わる「すべての人が持っている罪の奴隷の不自由さから解放してくださることを宣言したからです。私たちが神様を出会わなければ、自分の奥底にある罪からくる滅びに向かう困りごとに気づくことすらありません。イエス様は、友人に愛を現した彼らと共に、中風の人のすべてを完全に赦されたのです。床を担ぎ、罪も赦された神様に受け入れられた人となったのです。

3.アンチに教える神の子の持つ権威(21~26節)
イエス様を求めて赦された中風の人と友人たちとは相反して、イエス様に更なる疑惑を見つける論敵がいました。『ファリサイ派の人』と『律法の教師』たちです。彼らはイエス様の『あなたの罪は赦された』の宣言のことばを聴いて、『神様を冒瀆している』心の中で想いを抱いていました。これこそがイエス様が赦そうとされている『罪の本質』です。神様を認めず受け入れない姿です。神様をはじめから受け入れない彼らに対して、イエス様は、中風の人を癒すことを通して、罪を赦す権威をお見せになったのです。体の不自由からの解放だけでなく、罪も赦された証しとして、中風の人は、起き上がり床を担ぎ、神様を讃美しました。そしてそれを見た周囲の人たちは、非常に驚いて、目撃した彼らも神様を讃美しました。
友人たちが友のためにおこなったことは、多くの人に神様を知るきっかけとなりました。ここで起きた神様の御業は、イエス様の救済計画の重要な出来事となったのです。希望をもってあなたも神様に近づきませんか?