イエス様を信じる

ヨハネによる福音書4章46~54節  牧師 鈴木光

イエス様を信じるとはどういうことなのでしょうか。

1.信じるとは?
イエス様の最初の奇跡(先週の個所)も二回目の奇跡も、ガリラヤ地方のカナと言う町であらわされました。その日、王の役人がカナにイエス様がいると聞きつけてやってきました。彼の息子が病気で死にかけていて、来て助けてほしいと願ったのです。それに対してイエス様の最初の言葉は「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」でした(46~48節)。
ここには「イエス様を信じる」ということは何かを考えさせる問いがあります。
イエス様が約2000年前にこの地上におられたことを疑う人はほとんどいません。聖書以外にも資料が残っているからです。しかし、いたことは疑いなくとも、イエス様を「何者だと信じているか?」には多くの違いがあります。
しるしや不思議な業の目的は、イエス様が主であることを証しすることです。私たちはイエス様を主と信じています。それがクリスチャンの信仰です。

2.イエス様の言葉を信じる
早く来て助けてほしいと願う役人の男性に、イエス様は「帰りなさい。あなたの息子は生きる(50節)」と答えます。一緒に行くのではなく、ただひと言命じて、生きると宣言しただけです。しかし、彼は「イエス差の言われた言葉を信じて帰って行った(同上)」のです。
ここに信仰の鍵があります。すなわち、イエス様の言葉を信じて従うことです。
聖書の御言葉を聞き、信じて従ってみましょう。

3.イエス様を信じる
言われたとおりにした男性は、家に帰る途上で早くも息子が癒されたことを知ります。確認してみると、それは間違いなくイエス様の御業だと分かりました。「そして、彼もその家族もこぞって信じた」のです(51~54節)。
イエス様の言葉を信じた男性は、あらためてイエス様を「信じた(53節)」と言います。前者は言葉を信じてみた、ということで、後者はその結果を見て「イエス様を主と信じた」ということです。
見ないと信じないと言うのではなく、まず信じてみるならば見ることになり、その結果、ますます確かに主であることを信じるものになるのです。

<思い巡らし>
イエス様を何者と信じてますか?/聞いて従う/まず信じてみる