何をしてほしいのか

ルカによる福音書18章35~43節  牧師 鈴木光

エルサレムに向かう途上、物乞いをしている盲人がイエス様を叫んで呼びました。

1.何をしてほしいのか
この盲人は「わたしを憐れんでください」と繰り返し叫びました(38~39節)。「憐れむ」は日本語のニュアンスと少し違って、その人の痛みを共有するように知ることを意味します。
人々は叫ぶその人をたしなめますが、イエス様は立ち止まって彼を呼び寄せます。そして「何をしてほしいのか」と尋ねました(41節)。イエス様は主ですから、この人の願いを知っていたでしょうけれど、あえて尋ねました。それは彼が人生の苦しみの中で憐れんでほしい(知ってほしい)と叫んでいたからでしょう。
イエス様は私たちを知っていて、なおさらに尋ねてくださる方です。何をしてほしいのか、とイエス様は私たちに今日も問いかけています。
叫んでいたこの人は、「主よ、目が見えるようになりたい」と素直に答えました。私たちも尋ねてくださるイエス様に素直に向き合ってみましょう。

2.救いを受け取る信仰
イエス様は「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った(42節)」と力強く答えました。「あなたの信仰が」というのは、彼の信仰心が強かったというような心持ちの話ではありません。彼の言動に彼の信仰がよく表されています。
まず、彼はイエス様を「ダビデの子よ」と呼んでいました(38~39節)。これは救い主を呼ぶ言い方をしています。また、イエス様に「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言っているとおり、イエス様がその奇跡を行うことのできる、人となられた「主」であると信じて願いました。イエス様をどのように信じているでしょうか。主と信じて祈り求めましょう。

3.ほめたたえて従う
結果、彼は「たちまち見えるようになり」ました。そして、「神をほめたたえながら、イエスに従った」と記されています(43節)。私たちが願い求めて、応えられた時に、「ほめたたえて、イエス様に従う」という応答をしていきたいと思います。何となくラッキーとか、(求めたにも関わらず)求めたからとは限らないものなあ、とかではなく、素直に求めたように、素直に答える者になりましょう。

<思い巡らし>
何をしてほしいのか/イエス様をどう信じているか/賛美し従う