思うようにならない人の心
エレミヤ書44章1~14節 牧師 綿引久美子
またしても神様に背いたユダの民。そこには、自分でどうすることもできない人の心があります。人の心に潜んでいる原罪は、滅びに向かわせます。しかし、神様との約束は、永遠です。永遠の命は育まれるのです。
1.神様が怒りと憤る理由(2~3節)
『バビロンの捕囚となり生きよ』と言った神様です。民が生き延びるために、背く民に対して預言者を送り続け、語り続けます。ユダに残った民に対して今度は『エジプトにはいかずそこに留まれ』と伝えます。しかし、民はまたしても神のことばに背いて、エジプトへ寄留します。さらに神様を憤らせたのは、エジプト人の信仰する異教の神に香をたいた(礼拝した)ことです。
決してこの時代の罪深い人の話でではないのです。人の心は自分でも気づかず、神に背くものです。神様への背くことを安易に考えてはいないですか?
2.なぜ?(7~8節)
神様は、エジプトへ寄留したすべてのユダヤ人を残りの者としてエレミヤに語りました。イザヤ書にも残りの民という言葉は何度も使われています。しかし、言語は別です。イザヤは、「新しい神の民を形成する者」という神様に命をいただいて生き抜く者に対して用いました。しかし、エレミヤは「あらゆる神様の言葉に背き、滅び絶える者」を指して用いました。この滅びに向かう者たちに神様は憤り、『なぜ?』と嘆きます。「なぜ、自分と自分の家族が滅びに向かう行いをするのか?」「なぜ、寄留先の神々に香をたき、神様の怒りに油を注ぎ、自ら滅びに向かうのか?」神様のしてくださった恵みを忘れる民。神様の嘆きは、今を生きる私たちにも向けられています。神様の愛の眼差しでこの憤りを見るならば、罪から離れ、神様に生かされるチャンスであることを覚えたいです。今の時代は信仰で神様へ帰ることができるのです。
3.滅ぼし尽くさない神様の正義(14節)
これだけ神様に悪事で返す民なのに、聖絶されて当然の民の中から、信じて歩む僕を、パズルのピースを探すようにして見つけて、『難を免れて者』として生かします。
ノアの約束、アブラハムの契約を、神様は完全に守るお方です。自分の我が子を犠牲にしてまでも、この約束を守られるのが神様です。これほどの愛を注がれる神様に対して『どうしてそんなに神様は、自分の心すらどうすることのできない者のために、わが子の命を犠牲にしてまで、大切にしてくださるのですか?』という想いをあなたは抱かないのですか?このことを私たちがわかるために、復活の主は、小さな信じる者の所へ顕れてくださるのです。すでにあなたの所へ主は来られています。



