つまずきと希望

マタイによる福音書26章26~35節  牧師 鈴木光

受難節(レント)を迎えています。現在の聖餐式の基となる最後の晩餐の出来事と、イエス様と弟子たちのやり取りからメッセージを受け取りましょう。

1.食卓への招きと約束
イエス様はご自分にとって最後の食事となる、過越しの祭りの食事を弟子たちと共にし、その中でパンとぶどう酒の杯を弟子たちに分かち合いました(26~30節)。パンは十字架で裂かれるイエス様の体を、ぶどう酒は流される血を記念するものです。ここで、特に注目したいのは分かち合いながら話されたイエス様の言葉です。
「取って食べなさい」「皆、この杯から飲みなさい」と言います。イエス様はこの特別な「主の食卓」に私たちを招いています。それは単なる飲食の話ではなく、イエス様の体も血も受け取る、すなわち信じて受け取ることです。
また、杯は「罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言います。イエス様はこの招きを受け取る人と約束(契約)を結ぶと言うのです。それは、ご自分が裁きを代わりに受けて、私たちの罪を赦すという十字架の約束です。イエス様の招きに応え、イエス様と赦しの約束を受けましょう。

2.つまずきと希望
食事を終えるとイエス様はいつも祈りの場所としているオリーブ山に、弟子たちを連れて向かいました。その途上で、イエス様は弟子たちにこれから起こることを告げます。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。(中略)しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く(31~32節)」
「つまずく」といわれたとおり、実際、弟子たちはイエス様が捕まると逃げ出してしまいました。しかし、同時に「復活」とその後に彼らと再会することを予告して話されたのです。イエス様との歩み(信仰の生き方)には、つまずきもあります。そして、希望もあります。山あり谷ありでも希望をもって歩みましょう。

3.それでも告白する
弟子のペトロは「わたしは決してつまずきません(33節)」と言います。しかし、現実には彼もまたイエス様を知らないといって裏切ることになります。その時は自信があっても人の心は弱いものです。ですがイエス様はペトロの裏切りも分かった上で彼を励まし受けいれます(ルカ22:31~32など)。私たちも自分の弱さは謙遜に認め、しかし臆することなく信仰を告白していきましょう!

<思い巡らし>
イエス様の招きを受け取ろう/つまずきと希望/臆せず信仰告白を