唯一の献げ物
ヘブライ人への手紙10章11~25節 牧師 綿引久美子
今週は受難週です。十字架の恵みを受け取り、イースターを迎えましょう。
1.唯一の献げ物(14節)
イエス様が、苦難の末に十字架にお架かりになり血を流されたことは。神様の御心に基づいて起こったことです(10:10)イエス様は、ただ一度自らお身体をお献げになられたのです。神の御子であるイエス様だからこそたった一度の犠牲で、すべての人の罪を永遠に贖うことができたのです。イエス様の十字架の血潮は、私たちの罪をしろい雪のようにして(イザ1:18)、仲介者となり神様との和解を私たちに与えてくださったのです。イエス様の息絶えた時、裂かれた天幕は、神様と私たちとの罪の隔たりを引き裂いたのです(マタイ27:50~51)私たちの救いのために神様に献げられた『唯一の献げ物』、それはイエス様です。
2.神様に近づくことの勧め(22節)
『イエス様の血潮を覚えて救われた人』には、大きな神様の恵みがあります。それは、神様に大胆に近づけることです。罪のために自分を肯定できず、愛することさえできない人が、神様に大胆に近づける、旧約の時代にはできたでしょうか?神様がお決めになったやり方によって、私たちは神様に近づくことができるのです。それはずばり『イエス様の血潮』によってきよめられたからこそ、神様に近づくことができるのです(10:19)神様は私たちのためにご自分と共にある新しい生きる道を擁してくださったのです。イエス様は、人となり悲痛な叫びをあげ、十字架にお架かりになりこの地上での命を終わりにしました。私たちの罪のためになさった神様にしかできない最上級の愛です。しかし、イエス様は言います。『わたしと共に生きよ』と。だから私たちは、イエス様のことばを信頼しその思いに心から応えて『真心から神様に近づいていこうではありませんか!!
3.神様の名で集まることの大切さ(24~25節)
イエス様は、もう一つ私たちに大きな恵みをくださいました。それは『教会』です。イエス様は『私の名において集まるところにわたしはいる』(マタイ18:20)とおっしゃっています。『教会』の原語の意味は、『集まるように召された者たち』です。また『キリストを頭とする体』(エフェソ4:16)です。個々に違いはあります。しかし、バラバラではありません。好き勝手でもありません。それぞれ意味があって違い、大きな神様の目的があって一つになっているのです。もちろん小さな一人でも欠けてしまったら、たとえ何とかなったとしても、最善では無くなってしまいます。
もう一度『教会』というキリストの体の大切な唯一の自分を心に留めましょう。イエス様は、ご自分の体であるあなたのために、十字架で血を流され、救われたのです。