最も小さい者こそ

ルカによる福音書9章46~50節  牧師 鈴木光

ルカによる福音書の続きを読んでいきます。イエス様に従う人のあり方とは。

1.何を価値としているか?
「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた(46節)」と言います。この出来事の前には、イエス様の栄光の様子を目にした3人の弟子たちの姿、あるいは悪霊から子どもを助けられなかった弟子たちの姿が記されています。彼らの中では、ある者は「俺は偉い」と調子に乗ったり、「あいつはうまくできない」と見下されたりする者があったのかもしれません。
ここにはイエス様の価値観と弟子たちの価値観の大きなギャップがあります。人と比べたり、役に立つか、何かを生産しているかといった成果主義が弟子たちの価値観になっていました。世の中一般と同じです。私たちも同じように考えているのではないでしょうか。ですが、イエス様の見ているものはまったく違います。

2.最も小さい者こそ
イエス様は一人の子どもをご自分のそばに連れてきて、「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。…あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である(48節)」と言われました。
子どものように小さな存在とイエス様が同じだと言うのです。別の聖書の個所を見ると、子どもを連れてくる意図を「自分を低くして」とか「仕える者になりなさい」という言葉で説明されています。いずれも、イエス様の姿を思わせます。
神様である方が、人となり、馬小屋で赤ちゃんとなり、人々を癒し、助け、一方で嘲笑されて、最後は私たちの身代わりとなって十字架で死なれました。まさに、最も小さく、仕える者の姿です。私たちもこの姿に倣いましょう。

3.それぞれがイエス様に従う
ここで、弟子のヨハネが、イエス様の名前を使いながらも「わたしたちと一緒に」イエス様に従おうとしない者がいる、と言い出します(49節)。ですが、イエス様は「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである(50節)」と答えました。独りよがりなやり方でイエス様に従うのは間違っていますが、他人が自分のやり方と違うからと言って、イエス様の栄光が表されているのを止めるのも変な話です。人はどうしても自分のやり方を重視して、他人が気になる所があります。人がどうかではなく、あなたがイエス様の栄光を表す歩みをしましょう。

<思い巡らし>
何に価値を置いてますか/イエス様に倣おう/他人ではなく自分