帰るところ

エレミヤ書15章10~21節  牧師 鈴木光

エレミヤ書の続きです。エレミヤと神様の個人的なやり取りの様子を見ましょう。

1.正しい者は苦しむことがある
エレミヤは「わたしは災いだ」「だれもがわたしを呪う」と言って神様の前で嘆き訴えます(10節)。彼が預言者として偶像礼拝と罪にまみれ、悔い改めることのない民に対して、神様からの裁きの警告を忠実に語り続けたから、民はエレミヤをうとみ、いつも攻撃の対象になっていました。
また、「わたしは敵対する者のためにも幸いを願い…執り成しをしたではありませんか(11節)」とエレミヤは続けます。実際に彼は再三、神様に対して裁きを容赦してほしいと民のために執り成し続けてきました。
神様に忠実である正しい者に、そのゆえに苦しみが降りかかることがあります。
それは、十字架で「父よ、彼らをお赦しください」と祈ったイエス様の姿と重なるものです。

2.みことばが支え
そんなエレミヤを支えたのは神様の御言葉でした。「あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び踊りました(16節)」と彼は告白します。聖書を読み祈る中で、礼拝の中で、主の御言葉が私たちを支えます。

3.孤独を感じることがある
次にエレミヤは、反省もなく神様を無視して気楽に過ごす民を見て、自分だけが神様の憤りを共感して苦しんでいること、そしてそれを神様がかまってくれないことに不満を訴えます(17~18節)。神様に従っていることで、かえって孤独を感じることがあります。これもまた、イエス様が十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言って人の受けるべき裁きを代わりに受けた姿と重なります。

4.わたしがあなたの帰るところ
そんなエレミヤに神様は「わたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼ら(民)の所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ(19節)」、「わたしがあなたと共にいて助け、あなたを救い出す(20節)」と言います。今さら何を言っている。お前とわたしは一心同体だろう。大丈夫だ、と言うのです。

<思い巡らし>
信仰のゆえの苦しみや孤独/みことばの支え/主の約束は