コスパやタイパで失うもの
エレミヤ書6章10~21節 牧師 鈴木光
エレミヤ書の続きを読んでいきましょう。
1.お手軽に安心したい人々
神様に従わず、逆らい続けてきた結果として、滅亡に瀕していたユダヤの人々でしたが、それでも「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う(14節)」のでした。
聖書に出てくる平和(シャローム)は神様との関係が回復して良い状態ではじめて有る、まわりの状況などによって左右されない真の平和のことです。しかし、(当時の)不安定な世の中で、本当の問題(神様との関係)からは目をそらして、安心のもとをさがしてお手軽な平和を手に入れようとする人々の姿です。
時代によらず、私たちも同じことが神様に語られています。コスパの良い、お手軽な平和は実は何の意味もないものです。神様と向き合って真の平和を受け取りましょう。
2.待つのも考えるのも嫌な人々
続けて語られているのは、立ち止まってよく見てみれば「どれが幸いに至る道か」分かるはずなのに、そうしない人々の姿です(16節)。さらに加えて、神様の呼びかけを待って、聞くことを呼びかけられても「耳を澄まして待つことはしない」という人々の姿もあります(17節)。
じっくり考えるのは面倒で、待つことはタイパが良くない、と切り捨ててしまうのは今の時代も同じかもしれません。しかし、それは近道をしているようで、ずっと同じところも回っているだけではないでしょうか。立ち止まり、神様の言葉を聞き、幸いに至る道を歩き始めましょう。
3.本当に喜ばれる献げもの
聞きも従いもしないけど、形式的には神殿での礼拝をささげる人々に「あなたたちの焼き尽くす献げ物を喜ばず、いけにえをわたしは好まない(20節)」と神様はいいます。だから、もう私たちはダメだ、というのではありません。そんな私たちの罪を担って十字架でいけにえになったのがイエス様です。あなたは赦されている、だから神様のもとに立ち帰りなさい、と主はあなたを呼んでいます。
<思い巡らし>
お手軽な平和ではなく、神様との関係を回復して真の平和を手に入れましょう/時間に追われず神様に聞いて従いましょう/イエス様と共に