憩いの牧場に集まる

ヘブライ人への手紙10章19~25節  牧師 鈴木光

「イエス様と集まる」をテーマに私たち教会に与えられているビジョンをもう一度受け取っていきたいと思います。

1.主の手がのばされている
 「主の手が短くて救えないのではない(イザヤ59:1)」と聖書は語っています。神様は愛する独り子を十字架にかけてまでも、いつも私たちすべての人に手をのばしています。みんながその愛と赦し、永遠の命の希望を受け取るために。主が手をのばし続けておられるのですから、私たち教会は同じように人々に福音を届け続けることが与えられた使命です。
 そのために、多くの知恵や導きが与えられています。その中の一つがイエス様と共に集まるスモールグループ(勝田教会ではライフグループと呼んでいます)です。今日は特にこの働きについて聖書の言葉から学びたいと思います。

2.イエス様によってイエス様と集まる
今日の聖書箇所にはまず、イエス様の十字架の愛と赦しによって私たちはイエス様のもとに集まることができるようになったということが書かれています(19節)。そもそも私たちが集まるのは、集まること自体が主に与えられた恵みだからです。
また、「信頼しきって、真心から神に近づく(22節)」というように、安心して集まることができるのがイエス様のもとです。良い人だからとか、信心深いからとか、何かできることがあるからとか、何も参加の資格は必要ではなく、「共に赦されたもの」だから集まるのです。互いにイエス様に招かれていることを呼びかけ合って、クリスチャンもそうでない人も共に集まることを喜びましょう。

3.信仰を励まし合い、希望を持つ
 集まるのは「励まし合うため」だと語られています(25節)。「人が独りでいるのは良くない(創世記2:18)」というとおり、神様は私たちを共に生きるものとしてデザインしています。また、イエス様は弟子たちを集め、遣わす時は一人ではなく二人ずつにして遣わしました。私たちは、集まり、日々の歩みを分かち合い、祈りあう中で、共にイエス様と生きることを励まされます。難しいことをするのではなく、シンプルにイエス様と共に集まることを再び始めていきましょう。

<思い巡らし>
勝田教会に与えられたビジョンについて/資格は必要ではなくて集まること自体が恵み/互いに分かち合い祈りあうことで励ましがあります。