あなたがそう言うなら

ルカによる福音書5章1~11節  牧師 鈴木光

イエス様がペトロたち漁師を弟子とする出来事が記されています。

1.押し寄せる群衆、網を洗う漁師
 イエス様が湖のほとりにいると、群衆が「神の言葉を聞こうとして」押し寄せて来ました(1節)。いつの時代も人の心の中には神様の言葉への飢え渇きがあるものです。今もまさにそうではないでしょうか。多くの人が求めていると思います。
 一方で、歴史的に長く続いたキリスト教への禁教や、近年の宗教テロやカルトの問題などが、求める思いと裏腹に神様からの距離を人々にとらせていると思います。それでも、最近は先入観なく純粋に聖書の言葉を聞こうと心を開いている人たちも増えてきたと感じています。それは、2000年前の湖のほとりと同じです。
 その時、ペトロと漁師仲間たちは網を洗っていました。一晩中、漁をしていましたがこの日は魚がとれませんでした。気落ちと疲労感は大きかったと思います。しかし、彼らにイエス様は舟を出してほしいと頼みます。私たち教会も叫べども届かずでしょうか、なかなか聖書の言葉が人々に聞いてもらえないことに疲れを覚えることもあるかもしれません。でも、イエス様はもう一度、と呼びかけています。

2.沖に漕ぎ出して、もう一度網を打とう
 舟の上から群衆に語るイエス様の声を、ペトロはその足元で聞く機会に恵まれました。そして、話が終わると不漁だった漁師たちに、もう一度「沖に漕ぎ出して、網を降ろし、漁をしなさい」と言うのです。渋々従ってみると、その結果はかつてない大漁で助けを求めた仲間たちの舟まで魚でいっぱいになりました。
 いつも私たちはイエス様の声を聞いています。そして今日は、もう一度、今度は少し遠くに漕ぎ出して網を打つようにと言われています。私たちの、そしてあなたの「沖」はどこでしょうか。仲間と共にもう一度漕ぎ出してみましょう。

3.人間をとる漁師になろう
 ペトロにイエス様は「あなたは人間をとる漁師になる(10節)」と言いました。ペトロは舟も網も捨ててイエス様についていきました。イエス様は確かに、私たちの仕事や生活も祝福してくださいますが、それがゴールではありません。私たちもそれぞれに人間をとる漁師に招かれています。

<思い巡らし>
神様の言葉を求める人は増えています。舟を出すようにという呼びかけにどう応えますか/あなたの「沖」とは/あなたに語られている使命は