探せば見つかるのに
エレミヤ書2章1~9節 牧師 鈴木光
預言者エレミヤが人々に神様のメッセージを伝え(預言)始めます。
1.最初の愛を思い出せ
イスラエルの人々が奴隷となっていたエジプトから脱出し、解放されて神様と共に歩み始めたころのことを神様は最初に語られます(1~3節)。それは楽な旅路ではなく、人々は何度も不平不満を言い、時に神様を裏切り、また立ち帰るような日々でした(出エジプト記など参照)。しかし、神様は彼らを守り、必要を満たし、育てていきました。その歩みをとおして人々と神様の信頼関係は確かに築かれていきました。神様の愛を受け取り、それに応えることを喜んでいた日々です。
旧約聖書の預言書は、その時代の人々に語られると同時に、時を超えて私たちにも語られています。出てくる登場人物に自分を照らし合わせたり、見比べたりしながら思い巡らせてみるとよいですね。
あなたと神様の出会いや、関係性が築かれてきた出来事などはありますか。
2.空しいものを頼るな
一方で、このエレミヤの時代は神様からすっかりイスラエルの人々は遠く離れてしまいました。神様が手を離したからではありません。人々が次から次へと偶像を追い求め、周りの国々に合わせて右往左往するようになったのです。彼らが「空しいものの後を追い、空しいものとなってしまった(5節)」と神様は悲しみます。
神様ではない空しいものを頼りにしてしまうことがあります。神様のもとに立ち帰りましょう。
3.頑固さを捨てて主を尋ね求めよ
ところが、実際は人々はなかなか神様のもとに立ち帰ることがありません。神様は、人々も指導者たちも「主はどこにおられるのか」と尋ね求めないことを悲しんで語ります(6,8節)。
人々は約束の地について満たされるとすぐに神様から離れていったと言います(7節)。信仰とは(困った時の…ではなく)神様と私たちの生きた関係性です。良い時も悪い時もそれらすべてを祝福にしてくださる主と歩むことが幸いです。また「迷いだしてしまったからにはあなたのもとには帰りません(31節)」と人々は言います。謎のプライドや頑固さが神様のもとに立ち帰るのを妨げます。しかし、神様は放蕩息子を喜んで迎える方です。今、素直に神様のもとに行きましょう。
<思い巡らし>
最初の神様との関係性は/空しいもの/素直に神様に立ち帰ろう。