人に笑われても

創世記18章1~15節  牧師 鈴木光

信仰の人アブラハムのもとに神様が訪れます。

1.祝福の約束と信仰
 アブラハムはユダヤ人の祖です。彼は高齢になっていたにも関わらず神様の言葉に従って長い旅をはじめました。そんな彼に神様は二つの祝福の約束を与えました。一つは子孫の数が大地の砂や夜空の星のように増えひろがるということ。もう一つは、神様が示した土地を与えるという約束でした(創世記12章ほか)。
 途方もない神様の言葉を彼は信じました。その信仰を神様は認めました。

2.神様との信頼関係
 今日の個所にはアブラハムのもとを訪れる三人の旅人の様子が、とても不思議な表現で記されています。聖書は最初からこの三人が「主(神様)」であることを語っています(1節)。その姿は三人の旅人でしたがアブラハムは最初からそれが主だと気づいていたようです(三人であるのは三位一体の神様だからと伝統的に解釈されています)。彼は「ひれ伏し(2節)」、最上級の食べ物を急いで準備し(6~7節)、族長であったにも関わらず自ら旅人たちに給仕をしました(8節)。
 これは、単に旅人に親切にしなさいという教訓の話ではありません。アブラハムにはこれまでずっとマムレの樫の木のそばで神様を礼拝し、対話してきた日々がありました(1節、13:18)。だからこそアブラハムは最初から三人の旅人が、ただ一人の主であることを察したのでしょう。主を主として迎えたアブラハムに、主は主として約束が果たされることを宣言しました(10節)。
今を生きる私たちも主を迎えて、礼拝し対話しながら生きることができます。

3.いろんな笑いの意味
 アブラハムの妻サラは翌年に子どもが与えられるという彼らの宣言を聞いて、老齢のゆえにそんなことはあり得ないと思って「ひそかに笑った」とあります(12節)。実は笑ったのはサラだけではありません。以前に同じことを聞いた時にアブラハムも笑ってしまったのです(17:17)。しかし、神様は人の目に不可能なことでも、必ず約束を果たす方です。アブラハムは自嘲の笑いをやめて、本当の笑い(我が子イサク)を得ました。信仰は時に信仰のない世界の常識に笑われることがあります。それでも信じる人は本当の笑いを得ると主は約束しています。

<思い巡らし>
私たちも主を迎えることができます/信じる時に主の御業をみます