人生に絶望した人
ヨハネによる福音書4章1~30節 牧師 鈴木光
ユダヤの人々とは民族的に普段から対立していたサマリア人の町に、イエス様たち一行が立ち寄ります。イエス様が疲れて井戸のそばに腰かけていると、最も暑い時間にも関わらず一人の女性が水汲みにやってきました。
1.渇くことのない水
イエス様が「水を飲ませてください」とその女性に声をかけ、彼女は驚きました。対立民族の性別も違う旅人がなぜ自分にそんな頼みをするのかと困惑します。しかし、この後のやり取りの中で彼女の中にある「渇き」が明らかになります。
イエス様は言います。「(水を飲んでもまた渇くが)わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る(14節)」
人は皆、やがて地上の旅路を必ず終えます。しかし、体は終わってもその先に永遠に続く命があります。そしてその永遠の命を与えてくれるのがイエス様だと宣言しています。人は心も体も渇きますが、一番に取り扱うべきは霊の命の渇きです。
2.私の絶望を知ってくれている方
次にイエス様は心を扱います。サマリア人の女性の「夫」について尋ねます。彼女はこれまで5人の夫と別れ、今いっしょに住んでいる人は夫ではないと言います。どんな過去なのかは詳しく書かれていませんが、確かなことは、彼女は深く傷つき人生に絶望していたということです。
彼女の現状についてイエス様は具体的な解決の言葉を語るわけではありません。しかし、自分の絶望を知ってくれている方がいる、ということが彼女を変える希望となったようです。町の人々の目を避けていた彼女はこの後、その町の人々のもとに自ら行って、イエス様を紹介し始めたのです。
また、彼女の罪の問題も確かにありましたが、このやり取りをとおしてそれは明るみに出されました。人はその罪を明るみに出すことを恐れますが、それをイエス様の前に打ち明け悔い改める時に、本当の赦しと救いがあります。
3.本物の神様を仰ぐ日
最後にイエス様は御自分が主キリストであることを明かします。イエス様を仰ぐとき、すべての人の内にある神様への渇きが癒されるのです。
<思い巡らし>
永遠の命への渇き/ 心の渇き/ 神様への渇き/ イエス様と出会うときにこれらのすべてが満たされると聖書は語っています。