悪魔も知る神の聖者
ルカによる福音書4章31~37節 牧師 綿引久美子
ガリラヤ地方での伝道が始まりました。カファルナウムでもイエス様は、御業を行い、多くの人を驚かせ、宣教します。
1.権威(32節と36節)
ナザレからカファルナウムに下られたイエス様は、ここでも安息日ごとに会堂で教えられていました。そこでイエス様の語る言葉を聴いた人は、その言葉の権威に驚きます。また、悪霊に取りつかれた人とのやり取りでは、人に話しかけるのではなく、悪霊と直接対決し、悪霊を退散させます。その様子に、人々は、イエス様の言葉に、神様の権威と力を感じるのです。「権威」とは何ですか?神様の御力がある、生きて私たちに働く言葉です。その言葉には神の霊である聖霊なる神様の存在があります。その御力を顕わすとき、イエス様は必ず行うことがあります。それは、『祈り』です。イエス様は、一人になって静まり父なる神様と祈りの時間を大切にされました。ここに私たちが神様に用いていただく秘訣が隠されています。
2.驚き(32節と36節)
イエス様の権威ある言葉を聴いた人は、その超越した言葉の力に驚きます。今日の箇所では、2回人々の驚きの姿が記されていますが、実は4章では3回出てきます。前回の箇所であった22節にはイエス様の恵みの言葉を聴いたナザレの人々が、驚いた姿が書かれています。ここの驚きには「疑い」の心情が秘められた言葉が使われています。そして、32節の権威ある言葉を会堂で聴いた人の驚きの姿が記されます。この驚きは「度肝を抜くような仰天する」心情が秘められます。そして36節の驚きに秘められた心情は、「恐れ」です。人々はこの恐れをもって、神様を知るのです。イエス様がただの人ではないことが知れ渡ったのは、この驚きを体験したからです。
3.悪霊と人(34節と41節)
悪霊は、悪魔の手下です。神様に敵対し、人が神様を信じることを阻止します。
だからこそ、イエス様の存在にとても敏感でした。悪霊は『神の聖者』,『お前は神の子だ』と告白します。自分たちがイエス様に勝てないこともよく知っています。
しかし、人は、このような権威ある言葉を聴いても、奇跡を目の当たりにしても、なかなか『神の子イエス』にたどり着かない鈍さを持っています。ナザレでは「ヨセフの子ではないか?」といい、今日の箇所では、人は、驚きはしても、旧約で聴いていた『メシア』へはたどり着きません。しかし、イエス様は、人の愚かさを知っていながら、福音を教え続けるのです。これが神の愛です。
救われた私たちは、イエス様に倣い、福音を伝え続けることが使命です。