十字架の叫びと証言
マタイによる福音書27章27~56節 牧師 鈴木光
教会暦では受難週を迎えました。今日の個所ではイエス様がついに十字架にかけられます。この十字架の死には果たしてどんな意味があるのでしょうか。
1.わが神、わが神
既に鞭を受けて瀕死の状態のイエス様が十字架につけられて3時間が経ちました。そして、死の間際に叫んだ言葉は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」すなわち「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味の叫びでした(45~46節)。詩編22篇にある言葉でもありますが、何よりもまず言葉どおりの意味での叫びでしょう。これまでいつも共にいて、親しく「父よ」と呼びかけていた神様から、この最も苦しい時に見捨てられ何も関わりのないものとされたのです。それは、神様を認めずに関わりなく生きる(これを聖書では原罪と言います)私たちが本来受けるべき裁きでした。イエス様は私たちの代わりにすべての罪の罰を代わりに受けたのです。
2.最期の叫びと神殿の垂れ幕
そして、間もなくイエス様は最後に「再び叫び、息を引き取られた」のです(50節)。その叫びとは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」であったとルカ福音書を見ると分かります。イエス様は私たちの代わりに神様に見捨てられましたが、「父よ」と呼び、自分の命をゆだねるとあらためて信仰の告白をしました。
人は誰もが等しく死を迎えます。それは皆にとって初めての体験で恐るべきものです。しかし、主を信じて、父よ、ゆだねますと告白してその御手に飛び込むものは大丈夫なのだと今日の個所はハッキリと語っています。
イエス様が息を引き取ると神殿の垂れ幕が真っ二つに裂け(これは神様と人とを隔てる罪を象徴する物でした)、既に葬られていた聖徒たちが生き返ってきました(死の先の復活を文字どおり明らかにする出来事でした)。イエス様を信じるものを、主はまったく赦し、天国の永遠の命を与えるという約束がここにあります。
3.この方は一体何者か?
一連の出来事を見ていた異邦人の百人隊長たちが「本当に、この人は神の子だった」と言いました(54節)。聖書は数えきれないほどの言葉と出来事を示してイエス様が何者かを明らかに証言しています。すなわち私たちを滅びから救うかたであり、命を与える神が人となられたかたなのです。
<思い巡らし>
イエス様の身代わりの苦しみと、与えられた救いを信じ受け取ろう。