ともし火を絶やさずに

マタイによる福音書25章1~13節  牧師 綿引久美子

クリスマスも過ぎ、新しい年を迎えました。「賢い僕」の生き方を十字架の迫ったイエス様は教えてくださいます。

1.10人のおとめのたとえ(1~2節)
このたとえ話は、『忠実で賢い僕』(同24:45)の言葉を受けて、イエス様が弟子たちに教えておられます。主人公は、10人の花嫁の友達です。当時にユダヤ人の結婚は盛大に行われます。婚礼の後の祝宴は、花婿が、花嫁の家に迎えに行き、花嫁の友人たちがともし火をもって、花嫁の家から花婿の家まで行進し、花婿の家で、祝宴を行うという一連の流れがあります。5人のおとめは、ともし火と油を用意していましたが、5人はともし火はあったけれど油を用意していなかったという話です。『賢いおとめ』が『賢い僕』の姿です。

2.神様の試みは突然やってくる(5~11節)
 私たちの日々の生活には、神様の試みはつきものです。花婿の到着が遅れてしまいました。しかも、夜更けですから、眠気が襲います。10人のおとめは、居眠りをしてしまいます。そこに突然、花婿の到着の知らせが届くのです。神様は、私たちの本心を探ります。「神様の試み」は私達にとって自分を知る大切な神様の教育現場です。

3.ともし火を絶やさないために(11~13節)
 ともし火を灯すには、油が必要です。『私の油は何ですか?』聖霊なる神様,信仰…それぞれに心にぴたっとハマる『備え』があると思います。『ともし火の油』を準備しなければ、火は消えてしまいます。
 このたとえ話は、花婿はイエス様,花嫁は教会(信仰共同体)、10人のおとめは信徒と言われています。聖書の流れから見ると『再臨の日をどれだけ真剣に心に留めて、日々備えをもって生きているか?』というテーマがあります。その中で必ず自分で準備をしなければならない『油』は、重要です。
 『救い』は神様だけの力によって私達に送られる、信仰者への神様からの贈り物です。婚礼は、救いの契約にあたります。ここでの「祝宴」は、救いがもたらす祝福です。神様の祝福に招かれる生き方を今年は始めていきませんか?もう一度、自分の油の点検をしていきましょう。

(自分への問いかけ)
 ・あなたにとって準備する油は何なのか?
・神様の祝福の招きがあなたの目には映っていますか?
 『目を覚ましていなさい』。生ける神様と共に生きていきましょう。!