ひとりの芽

イザヤ書11章1~10節  牧師 鈴木光

アドベント(待降節)です。今日はイザヤ書からクリスマスに与えられたイエス様がどんな方かを受け取っていきましょう。

1.主の霊に満たされたかた
 まず、「その上に主の霊がとどまる(2節)」と、イエス様は主の霊に満たされたかたであることが語られています。そもそも、イエス様は主(神様)ご自身が人になられたかたです。マリアさんの内に聖霊がくだって人として生まれて来られた経緯がルカの福音書にも書かれています。本人なのに、その霊に満たされるというのは不思議な表現です。このことをとおして、その主が私たちと同じ人になってくださったことと、その主の霊が今は私たちと共にいてくださることがわかります。

2.わかってくれていて公正なかた
 イエス様は主なので、ちゃんとわかってくれています。私たちは人間なので、目に見えること、耳にするところで判断するのが限界です。しかし、イエス様は心の中も含めて、そして人の目に関わらず、すべてを知っていてくださいます。
 理解されない私たちの苦しみをわかり、不当な目にあっていることに最終的に必ず報いてくださる公正なかたです。逆にいえば、地上の人生でどれだけ人の目から隠せた罪も主の前には明らかです。しかし、イエス様は悔い改める者を赦して救うために来られたかたです。

3.神の国に招くために来られたかた
 そのイエス様の治める神の国では「何ものも害を加えず、滅ぼすこともない(9節)」と言います。イエス様はこの神の国に私たちを招くために来られました。それは天国だけのことではなく、地上の人生においてもイエス様を主と心に迎えた時から私たちの内に生まれる国です。イエス様を知り、心に迎える時、私たちの内に平和の主の国が始まります。

4.建てられた旗
 このイエス様は「すべての民(10節)」に必要な存在です。この方を私たちみんなに見える旗として掲げていきたいと思います。誰でもわたしのもとに来なさいと、イエス様はあなたを招いています!

<思い巡らし>
イエス様の聖霊が共にいます/イエス様はわかってくれています/イエス様は神の国に招いています/イエス様がみんなに見えるように掲げよう