最後まで忍耐するもの
マタイによる福音書24章1~14節 牧師 鈴木光
再びマタイによる福音書を読んでいきましょう。
1.世の終わりの教え
イエス様の神殿の崩壊の予告(1~2節)を受けて、弟子たちが「そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴(しるし)があるのですか(3節)」と質問をします。
「あなたが来られて世の終わるとき」と弟子たちが聞くように、聖書は救い主のイエス様が再び来られて(再臨)、生きているものも既に死んだ者も集められて最後の審判があり、(今の世界が終わって)新しい天と地が来る、ということを語っています。神様がこの世界のすべてを造り、そしてやがて終わりが来る、というのが聖書の教えです。では、このことに私たちはどう向き合えばよいのでしょうか。
2.そういうことは起こるに決まっている、まず落ち着きなさい
まず、「私が再臨の救い主だ」という偽物がたくさんあらわれたり、戦争が起きたり、飢饉や地震が起こると言います(全部心当たりがありますね…)。しかし、これは「産みの苦しみの始まり」だというのです(4~12節)。つまり、これらは「終わりの始まり」であって、「そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」とイエス様は言われます。だから「人に惑わされないように気をつけなさい」。慌てたり、不安に乗じてだまそうとしたり、絶望したりしないで、まずは落ち着きなさいと言っているのです。
3.世の終わりをサバイバルする
落ち着いて、次に世の終わりのサバイバルのポイントを聞きましょう。
第一に「最後まで耐え忍ぶ(13節)」ように言われます。クリスチャンにもひどい迫害や不法が吹き荒れて場合によっては命を落とすと言いますが、その時にも「信仰を守りぬくこと」を言われています。耐え忍ぶといっても、ジッと我慢に限らず、時には逃げ(16節)、知恵深く振る舞い、何より主に信頼していくのです。
第二に「あらゆる民」に届けられる「福音」に希望をおくことです。究極的には「死んでも大丈夫」な救いの福音をイエス様が与えてくれています。まず、この信仰をはっきりと持ちましょう。救われている者にとっては、終わりの時は恐怖の時ではなく、むしろ天国の始まりの時となります。希望をもちなさいと主は言います。
<思い巡らし>
聖書の語る世の終わりとは?/まず落ち着いて/信じ抜くこと/福音をしっかりと受け取って(信じて)希望をもつこと。