ママタイによる福音書23章25~36節  牧師 鈴木光

イエス様をねたんで敵視する律法学者やファリサイ派の人々の抱えている問題を、イエス様が指摘します。それは、私たちの誰にでもある問題とつながっています。

1.大切なのは「内側から」
 人々は律法に従って杯や皿をきれいにすることには熱心ですが、内側は「強欲と放縦で満ちている」(25節)とイエス様は言います。また、白く塗られた墓の中には死と汚れが満ちていることも例にあげて、人に見せる外側は取り繕っているが、内側が悪く汚れている私たちの姿を語ります。
 「まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる(26節)」とイエス様は教えます。それは第一に自分の内側の問題をイエス様の前に告白して悔い改めることです。それを隠さず告白して悔い改める者を神様は必ず赦し、清くされます(第一ヨハネ1:9)。そして、聖霊を満たされて日々新しくされていくことが大切です。

2.自分で自分を偽らない
 また、人々が自分たちなら(旧約聖書に出て来る先祖たちのように)正しい人たちを迫害しなかったのに、という彼らの言葉を(実際はイエス様を迫害しているので)矛盾に満ちているものとしてあげます。自分で自分を偽る彼らの姿もまた私たちの内にあるものです。人をあざむいて外側を取り繕うのと同じように、自分で自分をあざむいて本当の自分の姿を見ていません。
 自分の姿をみるためにも神様の前に立ちましょう。極めて善いものとして造られている自分も、しかし神様から離れて悪くなっていく自分も、神様の前に立ってはじめて見えてきます。そして、本来の神様が与えてくださる評価を受け取っていきましょう。

3.罪の杯はひっくりかえして
 たとえ旧約時代の迫害者たちと同じような問題があっても、大切なのはそれを断ち切っていくことです。先祖の罪の罰を子孫が受けると言うことを、聖書は語っていません。しかし、確かに価値観や伝統は良くも悪くも世代を超えて引き継がれるものです。それ自体も神様の前に持って出る必要があります。悪いものは断ち切って、これまで満ちてきた悪いものの満ちた杯はひっくりかえしましょう(参照32節)。
 既に罪の罰の杯はイエス様が十字架で引き受けてくれました。悪いものを引き継いでいく必要はないのです。

<思い巡らし>
まず内側をきれいにしましょう/ 神様の前に立って、本当の自分の姿を受け取っていきましょう/ 受け取ってきた価値観も神様の前でよく吟味して取捨選択しましょう