あなたの先生は誰?

マタイによる福音書23章1~15節  牧師 綿引久美子

十字架までの1週間を過ごされるイエス様、ご自分を慕う者達に対して教えておきたいことがありました。

1.受難の只中にあるイエス様(1節)

 『いちばん偉い人は、仕える者になりなさい。』『だれでも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる』(11~12節)。この御言葉は、とても知られている教えです。私たちは、日々の生活の中で「クリスチャンはこうあるべき」と人の生活においてどうあるべきか?という基準で、この御言葉に耳を傾けます。しかし、語られているイエス様は、受難の只中にあります。自らの命をかけて、私たちを救うために、私たちの代わりに苦しみを受けておられるのです。この御言葉は、地上での生き方を教えようとされているのではなく、私たちのただ一人の先生として自分の生きざまを教えているのです。『死と新しい命のこと』を教えておられます。

 

2.隠された命のこと(8~10節)

 私たちのこの地上の生涯は、必ず終わりが来ます。肉体に宿る命には終わりがあるのです。しかし、イエス様の十字架の贖いによって救われた者には、永遠の命が与えられます。この命には終わりはありません。しかし、この地上の命のように明確にわかる実感のある命ではないため、私たちはどうしても地上の命を基準に自分の生涯を見ようとしてしまいます。この「隠された命」である永遠の命のことは、「天の国」(神の国)を基準に見なければわからないのです。この命について、教えてくださるのは、イエス様です。イエス様以外誰も教えることはできないのです。

 

3.キリストに倣う(11~12節)

 『いちばん偉い人は、仕える者になりなさい』『へりくだる者は高められる』これこそが私たちの先生であるイエス様のお姿です。『イエス様は神の身分でありながら僕のようになり人となられました。そして、十字架の死に至るまで従順に地上の命を全うされたのです。』そして、死を迎えたあと3日後復活され、神様から頂く永遠の命で生きる姿を現してくださったのです。

 十字架の死が迫るイエス様は、人々がうらぎることをわかっていながら、それでも天の国の永遠の希望を教えておられるのです。永遠の命を与えられ生きる時、そこには、人の上下もないのです。地上での人間関係のしがらみなどなく、すべての人が同じ神の家族として生きる世界へと命が続いていくのです。そのことをイエス様は一番に教えたかったのです。