権威を与えるもの

マタイによる福音書21章23~27節  牧師 鈴木光

再びマタイの福音書の続きを読んでいきます。今日のテーマは「権威」です。
エルサレムの神殿で人々を教えるイエス様に、祭司長や民の長老たちといったリーダーたちは、嫉妬から敵意をむき出しにして「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか(23節)」と言います。

1.イエス様の権威は天からのもの
 イエス様は洗礼者ヨハネを引き合いに出して、ヨハネの権威は「天からのものか、それとも、人からのものか(25節)」と逆に問いかけます。権威は確かに与えられるものです。では、イエス様の権威はどこから来ているのでしょうか。
 まさに、イエス様のいる神殿の境内で、約20年前、少年時代のイエス様自身がここを「自分の父の家(ルカ2:49)」と言われたことが連想されます。実に聖書はイエス様が父なる神様の御子であり、神様が人となられた方そのものであることを繰り返し証ししています。
 イエス様の権威は最大の権威者である、天地の造り主である神様によるものです。

2.力ある権威
 では、この神様の権威は一体どんなものでしょうか。
 百人隊長の部下をイエス様が癒したときは(8:5~13)、病気や自然をも従わせる権威を持っておられることが明らかになりました。中風の人を癒したときは(9:1~8)、イエス様が罪を赦す権威を持った方だと示されました。そして、マタイ福音書の終わりでは、「天と地の一切の権威(権能)」を持つ方だと語られます。
 イエス様はすべてに対して力のある権威を持っている方です。

3.どこを見て生きるのか?
 リーダーたちは自分たちこそ権威者だと思っていました。事実、彼らも広い意味では神様から権威を受けてその働きをしていました。しかし、イエス様から問い返されると、自分たちの人気を守ろうと人々の目を意識して曖昧に答えました。彼らが見ていたのは、本当の権威者である主ではなく、まわりの人間たちでした。
 あなたは誰を見て生きていますか。ご自身をも与えてくださる主を見ましょう。
 
<思い巡らし>
イエス様の権威はどこから?/あなたはどこに目を向けていますか