二人または三人

マタイによる福音書18章15‐20節 

信仰の共同体、つまり集まりとしての教会についてイエス様が教えます。

1.二人または三人でつなぐ、解く
 イエス様は弟子たちに「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる(18節)」と言われました。
 実はこの言葉は同じマタイ16章19節でも出てきますが、その時は「あなたがた」ではなく、「あなた」と言って信仰を告白したペトロに語りました。
 私たちは信仰によって教会となっています。たった一人でも、イエス様を信じた人はその瞬間から教会です。と、同時にイエス様は私たちを一人ぼっちではなく、「わたしたち(あなたがた)」と共にイエス様と歩む者としました。性別も、年齢も、言語も、民族も、国籍も関わりなく、信仰によって私たちは「共に」教会です。
 
2.二人または三人でさとす
 さて、その教会には天国の鍵が授けられ、つないだり、解いたりすることをゆだねられました。もちろん自分勝手にするのではなく、聖書の言葉に基づいてです。それは、時にしっかりと戸締りする必要があることもあります。
 もし誰からが罪を犯していたのならば、まずはその人と二人だけでさとすこと、聞き入れなければ証人を他に連れて二人または三人でさとすこと、それでもダメなら教会がさとし、それでもダメならもうその人を「教会」とは見ないようにしなさい、と具体的にイエス様は教えます(15~17節)。「なあなあにする」ことはゆるすことではありません。むしろ悔い改めて立ち返ることを誠実に勧めるように教えています。そうでなければ、誰も天国に希望を持つことができないでしょう。
 そしてもちろん、悔い改めた者は、どこまででも赦すのがイエス様です(次週)。

3.二人、三人で祈る時
 一方で、地上でイエス様の名によって集まって祈る時、そこにはイエス様がいて、いわば天につながっているのだと言います(19~20節)。主は私たちが支え合い、励まし合い、そして何より共に祈って生きるように造られました。二人、三人、またそれ以上でも、イエス様のもとに共に集まり歩んでいきましょう。

<思い巡らし>

「わたしたち」ということ/なあなあにしないこと/共に祈ること。