天国をたとえれば
マタイによる福音書13章44~52節
イエス様が「天国」について「たとえ」を用いてお話します。
1.天国は至福の場所
まずイエス様は二つのたとえを話されます。そこでは、天の国は「畑に隠された宝」や「探していた高価な真珠」にたとえられています。どちらの話にも共通することは、それを見つけた人は「持ち物をすっかり売り払って」買い取るということです(44?46節)。つまり、天国はこの世のどんなものにも代えられない、比べ物にならない段違いの素晴らしいものだ、ということです。
天国はこの世の延長線上のようなものではありません。似たように罪や争いがあったら、そこはどうして天国と呼べるでしょうか。そんなところでの永遠の命にどんな魅力があるでしょうか。しかし、そこは神様が文字どおり共にいて、涙も死も苦しみも、もはやないところなのです。ただ至福だけのあるところなのです。天国の素晴らしさを知っていますか? いえ、知りようがないほど素晴らしいのです。
2.世の終わる前に
一方で、そんなに素晴らしいところですから、罪は存在できません。すると、誰も天国に入ることができません。終わりの日に、神様は悪いものは滅びに、そして良いものを天国に入れるといいます(47?50節)。完全無欠に良いものなど誰もいません。しかし、安心してください。イエス様は十字架にかかりました。私たちの滅びる分を滅びてくださったのです。だから、イエス様を信じて救いを受け取る人は、その日その時、新しく天国にふさわしいものとされて、そこに入ります。
全ての人が招かれています。天国の確かな約束を受け取りましょう。
3.神の国は今ここから始まっている
このイエス様の教えを学んだ人は、「神の国」の全体像が分かるようになります。
天の国は場所ですが、神の国は「神様が王としてご支配されているところ」ですから、場所だけではなく、私たちの内にも生まれます。この地上の歩みから、天国に生きるように神様と共に歩み始めましょう!
<思いめぐらし>
天国が至福の素晴らしいところだと知っていましたか?
イエス様の約束を信じて受け取りましょう。