光を放て

イザヤ書60章1節 

先週に引き続きイエス様の復活の記事です。復活したイエス様は心を燃やします。

「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。」
ゴスペル礼拝の群れ(夕礼拝)の今年度の年間聖句です。

1.光を放て
 「起きよ、光を放て。」はとても有名な御言葉です。なんと、神様に励まされ、生きる力と希望をいただくことのできる御言葉なのでしょうか。「起きよ」は「立ち上がれ、立て」という意味があります。「光」は「神様の光」です。「神様と共にあって光を放つこと」、また「神様から照らされた光を放つこと」、内からも、外からも、神様の光を私たちが放っていくことを神様は使命として与えておられます。私たちの生活を通して、神様を現していくこと、キリストの香りを放っていくことを神様は私たちに使命として与えておられます。

2.あなたを照らす光
 私たちを照らす光とは「神様を源とする」光です。神様の創造の業は、「光あれ」の言葉によって実行されました。(創世記1:3)神様は、闇に光をおきました。光は、私たちが思い描くまぶしく形のないものではなく、神様から来る光は、存在のある、私たちと関係を持つことのできる光です。だからこそ「いのちの光」「救いの光」「真理の光」「永遠の光」「恵みの光」などという言葉が聖書の中にあるのです。「光」は様々な働きをもって私たちと関わり、神様ご自身の、栄光や祝福、キリスト(神の子)のご性質など私たちに「光」となって照らし(働いて)、私たちに神様ご自身を映し出すのです。そこから、神様は人との関わりを広げていくのです。

3.主の栄光
 主の栄光が私たちの上に輝く時、神様は「福音」によって人と関わりを持ちます。
「福音」と聞くと、私たちは、「イエス様の十字架と復活」を思い起こします。しかし、聖書はそこでは終わっていません。私たちは、天国行きの切符が手に入ったところで、満足してしまいます。しかし、神様は、「イエス様が再び来られて、私たちが神様と共に暮らす新しい天と地(天国)」まで福音によって確約されているのです。この完成した「福音」にある神様の光こそ、私たちを照らす光なのです。
私たちに現れた主の栄光は、私たちの想像を超える、並外れた偉大なまばゆい光なのです。「主にあって立ち上がり、雄々しく光を放っていきましょう」。