心を燃やすもの

ルカによる福音書24章13~35節 

先週に引き続きイエス様の復活の記事です。復活したイエス様は心を燃やします。

1.たった今、共にいる方
 イエス様が復活した日、イエス様が死んで意気消沈していたのか都エルサレムを離れて田舎に向かって旅する二人の弟子たちがいました。そこにイエス様があらわれて一緒に旅をしますが、彼らの目は「遮られていて(16節)」イエス様だとはわかりませんでした。しかし、彼らの不信仰を嘆きながらも、あらためて聖書からご自分を証しするイエス様の言葉を聞いているうちに、彼らは変わっていきました。そして、目的地のエマオの村でイエス様を「無理に引き止め(29節)」、食事の席についたところで彼らはそれが復活したイエス様だと気づきました。
 希望を失い、暗い顔をしていた彼らでしたが、復活したイエス様と共に歩む中で心が燃やされていったのです。復活のイエス様は今も天に生きておられます。そして、その霊である聖霊は今も私たちと共にいます。私たちが旅路を共にすることを望むなら、私たちの心は燃えてきます。それは希望に満ちた炎です。
 
2.聖書が開かれるとき
 二人の弟子たちは「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか(32節)」と語り合いました。
 復活の朝の出来事を二人で話し合い論じ合っていた時、彼らは暗い顔をしていました(13~17節)。しかし、イエス様自身によって開かれた聖書の言葉に耳を傾けていた時、心は燃え、やがてその姿を見ました。私たちが人の知識や知恵で聖書をただの書物として論じるのではなく、私たちの信仰に応えてイエス様が聖書を開いてくださる時、私たちの心が燃えてきます。

3.燃える心を力に変えて
 心燃えた二人の弟子たちは、日も暮れようとする中、急いでエルサレムの都に戻り、仲間たちにイエス様の復活を告げました。そして、復活したイエス様に会ったのは自分たちだけではないことも知りました。内なる火があるならば、消したり、覆ったりしてはいけません。心の火を必要としている人々が待っています!

<思い巡らし>
信じて聖書を読むとは?聖書を読み、心燃える経験をしてますか?